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60 私流湘南の花便り1 [私流湘南の花便り]

 平成30年(2018年)新春スタートは植物園からである。本業(?)って感じでキーボード打つ手も落ち着いている(笑)。そして60回ときりも良い。音楽ホールも写真ギャラリーも楽しい。それ以上に、やはり私の基本は花の園であるからなお楽しい。箱根湿性花園、県立フラワーセンター、そして山手バラ園を中心とした公園と、私の学習と撮影の対象は変化してきた。山手の本格的な花めぐりも自分の中で定番になったので、また一つ首都圏で著名な花の園を開拓する。ついに四か所目。
 ちなみに一か所目、箱根湿性花園と、二か所目、県立フラワーセンターのご披露は写真展でのご案内だったので、このブログを探していただいても見つからない。一応リバイバルの試みで2016年に飯田橋のカフェギャラリーで「植物園花色衣」を再度やっている。そこでの過去資料の展示は多少やった。ブログでの再発表をするかどうかは今後考えていきたい。撮影の時代的にフィルムとデジタルの過渡期、多くの図版や写真(ポジフィルム)などをデジタルデータ化する手間、方法、費用が思い浮かばないからだ。
 今回からサムエル・コッキング苑を一緒に堪能していきたい。なぜここを選んだのかというと、江島神社の御利益と言いたいところだが(それもあるといいな。お正月だし)、私の調査、学習テーマとしている対象の時代にマッチしているからだ。イギリスの貿易商が十九世紀、1885年に別荘にしていた江の島の山頂部に、私財を投じてつくった回遊式庭園の植物園なのである。一説には日本初の本格的植物園ともいわれている。
 それは希少な植物の栽培や温水を使った熱帯地方の水生植物などを園内で栽培していたことにある。栽培されていたのは、オオオニバスなどともいわれている。温室にいたっては、当時東洋一といわれており、レンガ造りの石炭暖房器具などを使用していた。それらの赤レンガの遺構が現在も園内には残っている。2002年の工事の際にその大部分が発掘された。現在これらの遺構群を「サムエル・コッキング温室遺構」として公開されている。
 もうここまで書けばお分かりかと思うのだが、この植物園が持つ魅力はナショナルトラストの思想観や十九世紀西欧の自然観にオーバーラップする概念と言える。私が飛びつくはずである。しかも大植物学者の牧野博士との関係も深い植物もある(ツカミヒイラギのエピソードを参照)。「公共施設の舞台での生涯学習」、「キュー植物園のような考え方から来る英国人の持つ自然と風土、歴史観からつくられた文化施設」、「緑と花の自然を満喫できる植物園」という私の考える学習主題がすべてそろった場所。そこで、きれいな花々を撮影できれば言うことなしである。
 この植物園は小さいながらもボードウォークを備えている。椿園を回る際に撮影をしながら歩く。椿の株の多さに驚く。他にも、すでに春の花の木々を見つけているので、開花時期が楽しみだ。遺構の隙間からバラの花も咲いている。いつもの一重咲きのバラをここでも見つけたので、オフシーズンではあるが、一枚おさめておいた。
 また今現在、お正月から観光の目玉として植えられているのが、早春チューリップ。正月からチューリップが見られるというのは面白い。おかげで澄んだ冬の空気のもとで、青空を背景にしたチューリップの撮影ができることが、まずはこの植物園の最初の発見であった。大口径のマクロレンズならではの背景ボケと青空がいい感じだ。
 あとここの苑のスタッフの親切なこと。特筆である。ツカミヒイラギの場所を案内していただいただけでなく、専門の知識のあるスタッフに替わっていただいて説明までしていただけた。ここまで親切な植物園は箱根以来のことだ。たまたまの流れなのかもしれないが、訊く方にしてみれば、心強く、ありがたい行為であった。この場をお借りしてお礼をしておきたい。
 さてもうひとつ、少しわき道にそれるが、久々に日本ナショナルトラスト協会の全国大会にお邪魔した話題だ。何年ぶりのことだろう。今回はさかなくんさん(敬称はこれであっているのだろうか?)がお出でになり、子供たちに楽しいおさかなクイズを出してくれた。今回の大会は親子連れが会場にいるので、なんでだろうと思ったらそういうことだった。カジカとウグイは私も心中で当てた(もちろん口には出さなかった・笑)。団体役員さんでナショナルトラストの基本的な部分をよくお書きになったり、講演なさっている方のお話を聞き、次に和歌山の団体の報告を拝聴する。南方熊楠の話や本場の英国ナショナルトラストの視察団体のお話なども交えて、設立当初の貴重なお話が聞けた(大会の様子の画像は、主催者側の撮影許可時間内に撮影したものである)。
 私は時間の関係で少々早く帰ることにしたのだが、帰り際に名刺を置いて帰ろうと差し出すと、その受付担当の方のひとりは私のほうを向いて「存じておりますよ。いつもありがとうございます」と微笑んでくれた。心中『そうなのか……』と知られているとわかると嬉しいようなくすぐったい感じがして、何となく照れてしまいその場を後にした。私のほうはきっとぎこちない笑顔になっていたと思う。この時の自分は、印象良く振舞えていれば良かったのだが、どうであったろう。こういう時にいつも無様な私である。なんにせよ、ナショナルトラストのお話はいつ聞いても良い。また自分の知識や意識が下がり気味になったら、チャージをするようにお話を聞きに来ようと思った。
 さて新年も明けて、これから今回のこの「私流湘南の花便り」がたまに更新されていくと思う(あくまで予定だ)。私のブログなど誰も期待はしていないと思うが、もしかすると優しい奇特な方がいらっしゃるかもしれないので、その方々に向けて楽しみに待っていていただけたらと伝えておこう。
 それでは本年もよろしく。お互い、いい年にしよう。またひとつおじさん度の増した私の今年の抱負。それは犬小屋の上であおむけになって昼寝する漫画のビーグル犬のように、のんびりすることだ(戌年だけに)。新年から拙い文章をお読みいただき感謝である。

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これは本文とは関係ないが正月らしいのでアップした画像である
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59 夜景・夕景の話 2 [写真 自然]

 少し「一般的な機材の話」シリーズに近いお話になってしまうが、現在はEOSシリーズのほかに、K-3という一眼レフを使っている。もう使い始めてから数年は経つ。実はこのカメラと私は結構相性がいい。時期的にK-20も旬を過ぎて下取りを考えていたころに、このカメラの二つ前のK-7というボディが発売になっていた。これを考えていた時に阻まれたのがスペックの問題である。デジタル一眼もそろそろフィルムのころの性能をすべての面で凌駕し終わった時期である。
 その時その時でほしいスペックというのがある。この時は連写秒間8コマ以上、ISO感度100標準撮影可能、大口径の通しレンズが18mmから300mmを三本のレンズでシステム組みが出来ること、ファインダーはペンタプリズムを使って、視野率97%以上(あわよくば100%)あることが重要だった。この条件を満たしているのは、当時ニコンとキヤノンしかなかった。K-7ではカワセミや祭りなどの高速に動く被写体にどう接したらいいのかと悩んでいた(この機種も決して遅いほうではないのだが、自分のニーズと合わないのだ)。さりとて、ニコンのシステムを処分した直後に再びそろえるのはいかがなものかと考えて、キヤノンの機材を三台目というのもどうかと思っていた。
 そこにK-5が華々しくデビュー。そしてすぐにK-5Ⅱがでた。だが、このK-5Ⅱには二種類の選択肢があり、撮像素子のローパスフィルターの有無による選択をする機材だった。1600万画素超のISO100撮影可能、JPEGで秒間7コマをマーク、ボディ重量660gは理想だった。スペックは申し分ない。レンズもまあ今あるもので十分間に合う。問題はローパスレスか否かの問題。K-5Ⅱsは偽色を抑えるフィルターカバーを備えたモデルであった。
 この選択待ちが私の良いところでもあり、悪いところでもある。ただこの時はこの性格が吉と出た。要は小心者、優柔不断、あきらめやすい性格のおかげで(我ながら思うに、良いとこないな・笑)、決めかねて、買うのをあきらめてしまう。そうして、まごついているうちにスイッチ一つでローパスレスとの切り替えができるK-3が登場した。
 K-3は、ソニー製(だったはず? 東芝製という人もいるcf.価格コムとデジカメwatch。ただちゃんとしていれば私はどちらでもよい)の2400万画素超撮像素子搭載、ダブルSDスロット、連写が秒間約8.3コマ。そして防塵防滴。超小型な上にフィールドに強い機種だ。あとはこちらの条件はすべてクリアしてくれている文句なしの夢のスペックだった。ニコンとキヤノン以外でこのマシンスペックはお見事である。もっと評価されてもよい機材である。
 おかげでこのカメラは当分メイン機材で頑張ってもらえると確信している。このカメラも現行品ではなくなったので、ここで紹介することにした。
 そんなわけで今回はこのK-3くんとEOSくんをお供に横浜の港湾地区、全館点灯へと二年ぶりに出かけてみた。久々に両方の機材をじっくりと準備しての撮影だった。相変わらず長い前置きだ。本題に入ろう。
 昨年は諸事情により、全館点灯の撮影ができなかった。その雪辱を晴らすべく、今年は万全の準備で臨んだ。普段あまりしない下準備を行い、EOSはipadのリモート機能をWi-Fiで同期させて、端末側でシャッターを切れるようにした。K-3は大口径三本を出動させるため、キャリアに載せて転がしながらの銀バッグで臨んだ。ショルダーでは体がもたないからだ。さすがに一眼レフ二台とそのシステムレンズを手で持ったら次の日寝込んでしまう(おじさんとはそういうものだ)。
 さて実況をお伝えしよう。毎年大桟橋や象の鼻パークで全館点灯を撮影してきたが、今年はもう一つのそのべたな撮影場所に向かう。べた撮影で有名な三か所のうち、まだ私が撮影したことのない場所、万国橋に行くことにした。ご存知ワールドポーターズの横だ。赤レンガ倉庫からも近い。運河に映る水面の陰影がきれいな夜景ということで、べた中のべたな場所である。以前このブログで掲出したこともある大桟橋や象の鼻と並んで、数々のパンフレットや雑誌で使われる構図である。その場所の全館点灯であるから混雑するに決まっている。
 私が着いたのは三時半前だったが、すでに場所取りは始まっていた。三脚が並んでいる。被写体を前にして橋の左側から順に埋まっていく感じだった。四時前には橋のすべてに三脚が並んだ。私は橋の中央よりやや右側に陣取った。なるべく後塵となった人も入れてあげたりする。結構な混雑だ。それでも二列目の人が陣取り始めて、歩道は歩けない状態になる。私はトワイライトの時間に十分な枚数を撮り終えて、後発組に場所を譲った。いつものごとく三脚を抱えて、別の場所に移動である。今年はライトアップの日本丸を撮るのも目的なので桜木町まで歩きながら、撮影を続けた。それが下の作品である。
 今年の全館点灯は美しい。天気にも恵まれ、時間にも恵まれ、トワイライトのグラデーションと運河に映る夜景も重なり上出来である。作品の出来がいいのは、撮った瞬間にわかる。もう帰りの電車の中はウキウキ気分である。帰宅後にK-3に投げキッスだ(実際にはしていない気持ちだけ)! もし本当ならK-3は迷惑だっただろう(笑)。EOSも抱きしめてあげる(これも気持ちだけ)。やはりEOSも機嫌を損ねなければいいのだが。まあそれぐらい愛機を愛しく思うということである。
 さておおむね時間にもよるが、この夕方の時間は刻一刻と明るさが消える。それに合わせて、MFモードでマニュアル露出で、絶えずシャッタースピードを変えながらケーブルシャッターを押し続けた。おおよそf8でISO100は変えないで、シャッター速度だけを三秒あたりまで変え続けた。低感度でないとあの藍色からオレンジの美しいその背景は出ないからだ(一応まだ知らない方に言っておくと、私の作品の大部分は、今回も含めて、電気的な加工や飾りつけをしていない。撮って出しそのままだ。露出、シャッター速度、ISO感度の操作だけで作ってる。フィルムのころから変わっていない)。もし夜景夕景の撮影に興味のある方は、参考の一つにしていただけると嬉しく思う。
 そしてマニアの喜ぶネタを一つ。撮影待ちの時もあちらこちらから聞こえていた話題だ。今回の万国橋の一眼レフカメラ、ざっと見ではあるがキヤノン使用者が全体の約半分だった。ニコンとソニーがほぼ同数かな? 緑のレンズをつけていたのは私ともう一人若いお嬢さんだけだった。見た限りではだが。
 視点を変えて、ミラーレスと一眼レフの数で行けば半々というところだ。こっちはキヤノンが目立ったが、後はほぼ横並びの感じがした。パナソニックとオリンパスがよく目にはついたが。
 これが世間一般のシェアの縮図とは思わないが、キヤノン一人勝ちの感じがした。まあ緑のレンズは良品なのだが、認知度が上位三社より一歩遅れている。頑張れペンタックスリコー、そして負けるなオリンパス(笑)。
 ではそんなところで今回はシメにしよう。メリークリスマス。そして来年、いい年にしよう。このブログはこれが今年最後の更新である。

-今年もお世話になりました。良い年をお迎えください- 筆者より

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58 社会教育施設・音楽ホールの話-生涯学習としての考察から- [リベラルアーツっぽい話]

 街角やラジオからマッカートニーの『ワンダフル・クリスマス・タイム』やレノンとヨーコの『ハッピークリスマス』が流れる季節になった。このマッカートニーの曲も『幸せのノック』のようにあたたかくて、仲良しな曲である(私はそう解釈している)。「シンプルにステキなクリスマスの時間を」なんて歌詞がマッカートニー流だ。しかもふわふわのテクノポップ調だ。
 レノンのほうは、周知の通り、ご存知平和を願うメッセージソングである。でも多くの皆さんはやっぱり山下達郎さんかな? 
 さて、今回は表題通りの「リベラルアーツっぽい話」が出来る上に、主題の一つである社会教育施設についての話も兼ねている。少しだけ普段より背伸びをしてお話をしていきたい。ただし所詮書き手はわたしなのでそこそこレベルである。そこそこが、どの程度かは皆さんが一番よくご存じであろう(笑)。
 今回は鎌倉芸術館という音楽ホールへと仲道郁代さんのコンサートに出向いた。加羽沢美濃さんの時と同様に音を楽しみに行く。しかも今回のお目当てが利き酒ならぬピアノの音の聞き比べである。音楽家でも、調律師でもない素人のわたしにピアノの音の聞き比べの内容は述べられないので、そのものではなくて、文献屋が書けそうな周りの話題をご紹介と言ったところだ。
 さて、家でよくかけているクラッシック音楽CDの弾き手のひとりでもある仲道さん。その方の演奏が生で聴けるというので、フラフラと出かけていくことにした。加羽沢さんの時は、音楽とトークで心を温めに行く。
 若き日は美人ピアニストとして名を馳せた(今でももちろん変わらずにお綺麗だ。よく世間一般の例えに使われる「野に咲く花」と「高嶺の花」。この方を例えるならやっぱり後者である)。ちなみにわたしはそれが目当てで行くわけではない。それがお目当てなら、お顔のよく見える左やや中央寄り、一番前の席を陣取るほうがいい。いつものように「おじさんに、そこまでの行動力はない」と言うつもりだったが、その場所はわたしよりご年配のおじさんたちが沢山いた(やっぱり人気なんだ・汗)。でも鍵盤さばきを見たい人や知人、身内、関係者などもいると思うので、一概にすべてがファンとも言えないけど、それぐらいファンがいてもおかしくないピアニストさんである。
 私流に言えば(素人の私流ですよ・笑)、演奏家の技、ピアノの音が調和する音が味わえるのは、個人的にやっぱり後ろの席とにらんでいた。しかも表立って電気的に音を拾わない、ほぼ原音だけのコンサート。一段高い舞台上のピアノ。その天板の開き位置の角度が調音パネルのように客席に音を反響させるので、なるべく真ん中から後ろあたり。しかも弾き手が左側なら、音の出る場所は右側ピアノ本体。客席も中央から見て、やや右よりがいい。わたしの勘は今回は当たった。第二部の演奏会の時に開いた天板の真正面。幸運だった。
 以前と重複になるが、主によく部屋でかけている現役の日本の演奏家のCDが、小山実稚恵さんと仲道郁代さんのものだ。歯切れのよい、割かし規則正しいさっぱりしたリズムで弾かれる小山さんに対して、たおやかで、しなやか、柔らかい演奏をなさる方だなと素人ながら思っている(あくまで素人のわたしの個人的な感想である)。今回もそうだった。だがその奏法なのに激しい曲もちゃんと出来ている。さすがだ。しかも後半、あの長時間、延長時間になっていたが、息切れ一つせずに、MCも続けていた。
 そのほかのこの方の個人的なことや経歴などはあまり詳しく知らない(プロフィールにでていることだけ知っている)。それ以上のことはファンの皆さんのほうがよく知っていると思うのでボロが出ないうちに次の話題に移ろう。
 もともとホールスタッフのお話だと、仲道さんはこのホールが作られたときに、この会場に設置するピアノの選考委員のお一人だったそうだ。改装が終わって、再稼働する記念のこけら落とし、「リニューアル記念公演ラインナップ」の一環での開催である。
 その選定されたピアノは四台。ベーゼンドルファーMODEL290、スタインウェイD-274、ヤマハCFⅢ-S、カワイEXである。スタインウェイは選びに行ったエピソードなども話して下さった。この四台のピアノがどのような性質のものなのかステージで調律師の皆さんや仲道さんが教えてくれる。僭越ではあるが、及ばずながら、それ以外のコメントはわたしなりに調べたものもある。
 順に行くが、まずはベーゼンドルファーから見ていこう。コンサートのリーフレットにはMODEL290の後に「インペリアル」の文字が無いのだが、会場のスタッフさんに訊いたところ、同じ物とのことだ。オーストリアを代表するピアノでありメーカーでもある。現在は日本の楽器メーカーヤマハの傘下にある。辞書でこの名を調べると、企業名ではなくピアノ製造のファミリーの名前が出てくる。ロケーションからして、やはりクラフツマンシップが生きているからなのかなと思う。辞書には、創業者の息子ルートウィッヒが今日の繁栄の基礎を固めたとある。
 MCでも触れていたのだが、特殊なモデル290は97鍵盤数を誇り、低音の9音が他のピアノより多い。ちなみにピアノは88鍵盤が一般的。余分な鍵盤は白鍵位置にありながら黒色である。
 資料によると、バッハのオルガン曲をピアノで弾くことを目的に作ったという話も見つけた。しかもその愛用者のすごいこと、その鍵盤数の多さを武器にして、バルトーク、ドビュッシー、ラヴェルなどの愛用者の名前がある(ほぼ印象派の面々)。しかも生産数の異常に少ないことでも有名。ステージ上の調律師さんの説明では、チェンバロからピアノへと派生していった過程の痕跡を残すピアノで宮廷用に音響効果が設定されているという。この辺り歴史好きの私の心をくすぐる(笑)。
 またわたしの資料にあったのでは、このピアノ独特の響きやそれを再現する楽曲を「ウインナートーン」というらしい。ウインナー(ウイーン風)といえば、コーヒーとソーセージしか知らないわたしにとって、なんて高尚な響きの単語なんだろうとひとつ賢くなった気がする(笑)。ちなみにモデル番号の290はピアノの奥行きが290cmあることに由来する。
 次にスタインウェイである。これも274というモデル名は奥行きの長さである。もともとはドイツでの創業だが、1849年の二十年もたたないうちにアメリカのニューヨークへと移って名声を得たメーカーである。知識のない私を含め外国の楽器メーカー、特にピアノを一つ挙げろと言われたら、この会社名を挙げる人が多いのではないだろうか? それぐらい認知度の高いメーカーである。
 これもステージ上の解説ではアメリカの富裕層がホームパーティなどで使うために、それに合わせて音を作っているという。まさにブルーグラスの発生と同じくして大きな家で音楽を楽しむためのピアノだったようだ。
 スタインウェイ社には二つのフラッグシップモデルといわれるピアノがあり、クラッシック音楽で威力を発揮するのがこのD-274である。ジャズやポピュラーではC-227というモデルが有名なようである。ちなみにこのD-274は二千万を下らないそうだ。
 そしてヤマハCFⅢ-Sという国産フルコンピアノ。ここに挙げた四台は、すべてフルコンピアノという。グランドピアノの中でも奥行きの長いピアノのことをそう呼ぶようだ。正確にはフルコンサートピアノという。大会場でも音が響くように設計されている。だからこの芸術館の大きなホールに設置されてるのだ。おおよそ270cm以上の奥行きがあるものが一般にフルコンと呼ばれるそうだ。
 利点としては、ピアノ線が長いので、低音が安定することと、弦の震えが長く続くので余韻や響きが豊かだという。このピアノについては、かつていわれていたらしいのだが、ヤマハ特有のきらきら音から脱皮して、深い味わいの音を出したと称賛を浴びたモデルだ(どこからかの請け売り。ただしわたし個人的にはきらきら音も好きである。安心感さえ持てる。なんせシンセサイザー世代なので。DX-7なんて名器だったなあ。KXとの組み合わせも最高)。
 ヤマハが出れば、カワイも出る。EXという国産モデル。とりわけ会社の姿勢としては、オーディオメーカーのオンキョーと提携して、音への追及をしている勉強熱心な部分もある。EXは他の製品とハンマー部を変えて特注にするなど細心の技術が施されている。たたき具合で強弱や余韻って変わるから、やはり重要である。
 とまあ、楽器好きではあるが、ピアノの型番までは知るわけもなく調べものの山であった。しかもフルコンのピアノって、商品のラインアップに入っているのを今回調べて初めて知った。各メーカー受注生産に等しいこれらのラインアップ製品もコンシューマー向け製品と同列にPRしていたことに驚きだ。
 個人的には、ピアノって学校かお店でしか、あまり触ったことないので、フルコンピアノにいたっては、この先ご縁もなさそうにも思う。触れる日は来るのだろうか? 少なくとも自分で買う可能性はまったくもってゼロに近い。当たり前か……(笑)。
 まあ、四台のピアノ概略をざっと拙い知識で並べてみた。ステージ上での説明と入れた物は、実際の公演での最中にピアニストさんや調律師の方々が教えてくれた知識である。それ以外はぎこちない当方、ピアノに関しての知識がすくないため大目に見ていただきたい。先に頭を下げておくしだいだ。

 館内の設備はとても各方面に行き届いて、清潔かつ機能的である。玄関にいたるアプローチも広く、同じ時刻に閉幕後観客が殺到する際の混雑もそれほど気にならなかった。音楽ホールは「く」の字型に広がって客席側奥に行くにしたがって広がる構造だ。高低差もあり、出入り口の扉付近はステージよりも若干高くなっている。エスカレーターで二階に上がる構造で一階の美術展示室が廻廊状になっているのと同じ間取りで二階の音楽ホールに行くアプローチも廻廊状になっていた。
 その廻廊は一階に竹林の日本庭園が造られているため、それを囲む形。一階にいても、二階にいてもの庭園が見える配置になっている。
 今回のリニューアルは構造上の刷新ではなく、主に消耗品や摩耗の補修などを中心としたものとのこと。ただしステージの照明などは新しくされたと、ステージでの説明はあった。
 コンサート自体は第一部は楽器の音色鑑賞という面白い企画。ドビュッシーの『月の光』を四台で聞き比べをすることが出来、貴重な音を拝聴できた。『子犬のワルツ』のワタリ弾きなど普段の仲道さんのコンサートでは見られない貴重なステージだった。
 第二部は演奏者がそのピアノに合った楽曲を数曲ずつ弾いていく。したがって演奏リスト通りの順番ではない曲になっている。アンコールはエルガーの『愛の挨拶』。これが聴けるのが個人的には嬉しい。値段以上のコンサートだったとわたし自身は感じた。帰り道には頭の中で『愛の挨拶』の余韻が残っていた。
 以前にも話したが、特にクラッシック音楽に詳しいわけでもなく、ただ好きで聴いているだけのわたしだ。したがって、曖昧な部分や上手く表現できていないのは、わたしの知識の未熟さである。大変申し訳ないが、先にご了承いただけると嬉しく思う。
 社会教育施設としてのこちらの音楽ホールはどちらかというと、かなり専門性のある音楽ホールである。ピアノが四台もある時点でわかることだ。しかも演奏者さんも言っていたが、その四台が同じステージ上に並ぶなど多分あまりないという珍しい光景を見れたのも興味深かった。
 今回の功労者はステージ上、四台のピアノを渡り歩いて弾いていただけた仲道さんではないかと思う。普段は一カ所で一台のピアノで弾く筈なので、疲れたのではないだろうか? また彼女が「この子たち」と移動されていくピアノを慈しむ言葉をかけていたのが、客席のわたしには好印象に映った。そして同様の功労者、スタッフの皆さんたちにも、ねぎらいの言葉をおかけしたいくらい忙しいセッティングだった。
A thousand thanks! とそっと言っておこう。とても楽しいステージだった。しかも都内より少しだけリーズナブルなチケット代設定にも感謝である。


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仲道郁代さんのTwitter
https://twitter.com/Ikuyo_nakamichi

鎌倉芸術館のホームページ
http://www.kamakura-arts.jp/
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57 一冊の本から見るナショナルトラストの文化面(少し真面目なお話5) [少し真面目なお話]

『図説英国ナショナルトラスト紀行』という本がある。勿論ナショナルトラストの本なのだが、読みようによっては、英国文化人の逸話の本にもなり得る。このブログではナショナルトラストの歴史的価値にしか触れておらず、現在のプロパティについて触れたのは微々たるものである。理由は簡単で、わたしが歴史的な見地に知識が偏っているからである。いままでも湖水地方やロバート・ハンター、ヒル、ポターなどのエピソードはことあるごとにつけ触れてきたが、ナショナルトラストの「今」はほぼ初めて扱う。わたしも知らない「今」を教えてくれるこの本の有用性とおもしろさを伝えるべく、そんなわけで、今回は書籍案内といきたい。
 この本の著者である小野まりさんという方はナショナルトラストの楽しみ方をよく知っている方だと思う。本書のあとがきのところでも、彼女のその感性を拾うことが出来る。プロパティにいると嬉しいという気持ちをお持ちのようで、その気持ちは本文の事細かな説明やナショナルトラストの知識を集めた巻末の部分でもよく分かる。わたしが十九世紀西欧文化に触れていると楽しいのと同じなのかな? などと思っている(わたしなどと一緒にしたら失礼かな・笑)。
 この本が扱っている主な文化人や歴史人物を順に拾っていってみると、ワーズワース(詩人)、ジョン・ラスキン(美術評論家・大学教授)、ベアトリクス・ポター(絵本作家)、ウィンストン・チャーチル(元首相)、ウイリアム・モリス(芸術家・インテリア作家)、アイザック・ニュートン(科学者)、バーナード・ショー(作家)、トーマス・E・ロレンス(考古学者)、アガサ・クリスティ(作家)、ジョン・レノン(音楽家)、ポール・マッカートニー(音楽家)などの生家やもと所有の家などである。これらは皆、ナショナルトラストが委託を受けて、管理や手入れをしているプロパティである。
 これらのプロパティにそれぞれの説明文が載せてあり、そこには大まかな元所有者などの人生や偉業か書かれている。例えばニュートンを知る人は多い。リンゴが木から落ちる現象から万有引力の法則の着想を得たことは、何処かで皆が知ることになるエピソードである。そしてこのニュートンの家には、窓から見えるリンゴの老木があるそうだ。それが引力の発見に貢献したリンゴの木である。
 あるいは教区に10人足らずの人口しかない牧師の館が、廃止となる際に買い手を探していた。そんなときに田園生活へと移行しようとしていたショー夫妻の元に物件購買案内が聞こえてきたため、牧師の館はショーの創作アトリエになった。『ピグマリオン』(映画のタイトルは『マイ・フェア・レディ』)で有名な劇作家である。庭の片隅には執筆小屋も残されており、タイプライターなどもそのまま置かれている。
 また元ビートルズのジョン・レノンが幼少期から青春時代を過ごしたミミおばさんの家(母ジュリアの姉)もミミおばさんがいなくなってから、オノ・ヨーコさんが買い取り、ナショナルトラストに寄贈委託したのだという。この家の裏手には楽曲で有名になったストロベリーフィールドもある。この家とその時代を思って作り上げたのが『イン・マイ・ライフ』という曲で、人生観を綴った詩と間奏部分のピアノが美しいことでも知られている曲だ。
 ほかにも映画のハリーポッターシリーズやバーネット夫人原作の『秘密の花園』などの舞台となったプロパティ、紅茶の美味しいプロパティ、バラの花の美しいプロパティなどなど、英国の文化や習慣が沢山詰まった楽しい本である。
 わたし自身がこの本を良いと思った理由は、その装丁とレイアウト(台割り・ページ割りを含む)にある。カラーグラビア印刷のページがふんだんにある本は、大抵読み応えがない。ところがこの本は写真も豊富、説明も豊富と一番知識を得るのに有用な形態をしているからである。ビジネス上のご迷惑になるので、本の中身は写せないが(正確には公開できないが)、まず読み応え、見応え十分な内容である。少しでも英国やナショナルトラストに興味がおありの方にはおすすめである。一般的な書店や図書館には、ほぼおいてある河出書房新社のふくろうの本シリーズなので、何処かでお手にとって確かめていただけると、わたしのここで述べていることがご理解いただけるだろう。そんなわけで今回は、文学や文化、自然保護などにつながるお話ということで、一冊の本をご紹介した。
 蛇足だが、四年目が近づくこのブログ。最初のスタート時はページビュー(閲覧数)月に二桁前半、正確には15回弱程度だった。きっと四、五人しか来ていない(のどかだ・笑)。それがありがたいことに、この自然や歴史、文化、写真、生涯学習といった地味な内容にもかかわらずひと月に四桁の閲覧数に達した(五桁にはほど遠いくらい。推測付くかな?・笑)。真面目にやってきた甲斐があったかなと思う。一重に遊んでいって下さる皆さんのおかげだ。この1割から2割程度が重複を除いた実人数かなと思っている。もちろん何十万というリピーターを抱えるような権威的あるいは人気のあるブログというわけではない。わたしもそのようなものを目指していない。出来る範囲で、自分の都合の付く範囲で、無理することなく、更新するつもりである。草の根のようなインターネットの端っこで文化や芸術の戯言を密やかに楽しみ合える皆さんに来ていただければ、それだけで嬉しく思っている。またお時間があるときは、なんの奇抜さも特典もないが、ぜひこの地味なブログを覗いていっていただきたい。大感謝。


次回はクラッシック音楽のホール、社会教育施設のご紹介といきたい。



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56 帰ってきた写真ギャラリーめぐりーお気に入りの写真家の話 [帰ってきた写真ギャラリーめぐり]

 芸術の秋ということで、作品としての写真や写真家の話をしてみたい。たぶん、私が一番最初に美しいと鑑賞や審美性の観点で感銘を受けたのは、緑川洋一と植田正治である。おそらくモーターマガジン社か学研の出す写真カメラ雑誌で見たのだと思う。きらきらと七色に光る黄金の海の風景。もう一方はモノクロの単一トーンの砂の中で浮かび上がる幸せな家族の表情や、それとはミスマッチな古風なお囃子用のお面である。
 写真を写すのが楽しくなり始めたころに出会ったのが、新聞社のグラフ誌に載っていたと思う前田真三だ。緑川のそれが光の芸術なら前田のものは色の芸術だった。北海道は美瑛の美しい花畑に、色のラインが幾何学的に並ぶ、何とも言えない美しさだった。プロの写真家も世の中には結構多くいるが、さすが著名でいくつもの賞をとっているだけある。これだけの写真家はなかなかいない。
 なぜいままで前田や緑川のお話をしていないかというと、あまりに細部の話に入り込んで独りよがりな内容になることが否めないからである(それぐらい好きということだ)。しかしこのブログもずいぶんと常連さんが増えてくださったので、知識の共有の準備は整ったと考えて、今回は私の好きな、単純に見ていて楽しくなる作品について、話を進めてみた。
 例えば前田の『麦秋鮮烈』という作品を見て、頷かない人はほとんどいない。既述のように前田はなだらかな丘陵地帯の畑に植えられた作物の持つ色を、幾何学的に配置した構図で作品を作っている。写真展では展示作品の前に必ず人だかりができるのは必至だ。ローキーな画面に暖色系の色のはずの紅色が、涼しげなトーンで、しかもすっと定規で計ったように大地を染め上げている。赤系の色をくすませながらも、ビビッドな主張をさせている美しい作品と言える。自然風景であるはずの畑が、まるで無機質に見えるところにこの作品の味がある。
 一方の緑川、『下津井沖の航灯』や『灯台と船』を私は最初合成写真と思っていた。カラーセロファンをよじらせて乱反射で彩色写真のようにして、あとで筆入れして作ると思っていた。ところが、これらはカメラの機能を多分に駆使して、フィルターを上手に活用して撮った現実の風景だった。こんなものが七十年代や八十年代にすでにフィルム写真で作ることができるというのも、今思っても驚かされる。ここで言うフィルターはデジカメに内蔵されているデジタルフィルターではなく、レンズにかぶせて特性を得る現実のフィルターである。
 そして『灯台と船』では、光と影のコントラストをいかすように、七色の海を背に船が影絵のように、シルエットだけで表現されている。これは芸術と言える絶品である。いまならグラフィックデザインやデジタル加工でうまくやれば、作ってしまう人もいそうだが、自然情景とカメラの機能だけでこれを撮りあげた技術に脱帽する。
 七十年代や八十年代は、映画も、写真も、テレビもカラーが主流になりだした時代だった。とりわけ七十年代後半は、天然色という言い方が庶民や地方にも定着した時代でもある。映画に少し遅れて、テレビもこの頃から徐々にカラーが浸透していった。十にも満たない私でも何となく覚えている社会風潮だ。それを先取りするかのように、おそらく緑川作品は世の中に夢を見せてくれたのではないだろうか。
『下津井沖の航灯』では直線に並んだ船の光跡が美しく仕上がっている。幾重にも並ぶ横線の光は、よくよく近づいてみると小さくジグザグを描いている。波に揺れながら船が進んでいる証拠である。長時間露光したおかげで海と陸の境もシルエットでわかるようになっている。風景写真としての美しさも持ち合わせた両面からの佳品である。
 今回取り上げた前田真三、緑川洋一は絵画の印象派のような美しさを持つ作品を多く産出した(と私は個人的に思っている)。例えば海のきらめきはモネやスーラの点描に見えるし、紅色の大地はゴーギャンやゴッホ、セザンヌのべた塗りに見えると勝手に思っている。後付けの理屈かもしれないが、でも私の審美眼(審美眼はたいしたものではないが、作品は素晴らしいものだ)にも訴えてきたのだと思う。これらの写真家の他に、いままで小出しながらご紹介している植田正治や星野道夫も私の心に刻まれた作品をつくった写真家たちである。もしどこかで見る機会があったら、写真展に足を運んでほしい。自然風景を好きな方ならきっとこれらの写真家の作品はお気に召すものになるだろう(ただ植田だけは、砂丘という舞台は自然だが、分類としては演出写真になる)。
 これらのほかに現役の先生としては、竹内敏信さん、今森光彦さん、米美知子さん、石川賢治さんなども、お名前を発見すると時間さえ合えば、写真展に行きたくなる写真家の先生方だ。みどりと風景、海や湖と風景を大切になさる方々の作品を拝見することで、心にゆとりと安らぎを感じることができるような気がする。
 今回は私のお気に入りの写真家を作品でご紹介した。画像は前田真三の『麦秋鮮烈』を表紙に使っている写真集と緑川洋一の『灯台と船』を表紙に使っている写真集である。現在入手可能かはわからないが、フィルム時代の名作を一度ご覧いただけると感動すること間違いなしである。
 今回は私の趣味にお付き合いくださり感謝である。好きな写真家はひとそれぞれだが、皆さんにとっての芸術的一枚が見つかると嬉しく思う。久しぶりにギャラリー訪問の手掛かりになる本来のこのブログの使命(?)的な記事をあげることもできたので、ちょうどよかった。こういった記事を書いていると、ギャラリー巡りや中古カメラ店巡りをしたくなる性分である。困ったものだ。

おまけ
リメイクされたクリスティのオリエント急行がこの冬公開される。ポアロの「灰色の脳細胞」が大活躍かな。悪天候で行く手を阻まれた列車に乗り合わせて、「偶然」を装った乗客たち。うーん、何度見ても見たくなるんだよなあ。トリックも、プロットも、時代背景も素晴らしいクリスティ。予告を見る限り当時のイメージをちゃんとそのままに復刻なので、楽しみである。

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55 私流よこはまの花便り14 & リーズナブルなクリアサウンド [私流よこはまの花便り]

 タイトルからして横道にそれる気満々である(笑)。その昔、洋物のカトゥーンフィルムが好きな知人に、「君はライナスっぽいね」と一度だけ言われたことがある。例えられても、誰だかわからないときは困惑するものだ。その後十数年して(長い・笑)、ライナスが『ピーナッツ(チャーリーブランウンと仲間たち=スヌーピー)』に出てくる登場人物と判明。しかも子供ではないか! 言われた当時はアラサー時代。それを言った知人と、もう行き来がなくなったころに判明しても、誰にも言えないので、ここでアラフィフとなった今、半分ヤケで述べてみた(笑)。加えておくと、私は『ピーナッツ』をちゃんと読んだり、テレビ漫画を真剣に見たことはないので、あやふやなところや認識不足はご了承願いたい。
 哲学の品位を持つ性格の登場人物なのだが、物静かで見守るタイプだ。はたして似てるかな? たぶん外見ではなく、性格や雰囲気なのだろう。私に毛布を引きずる趣味はない。布団を干す趣味はある(笑)。個人的には、オーディオ製品のキャラクターだった関係で、シュローターのほうが馴染みがあるのだが……。そんなわけで少しだけオーディオの話題をしてから本題に移ろう。(なんなんだろう。この導入部の一、二段落目。ちょっと強引なもっていき方かな?)

 先日、旧式のミニコンポと我が家のMacintoshを接続して、マックをオーディオにグルーピングしようと試みた。方法としては、Macintosh→ワイヤレスレシーバー(オーディオサーバーと書いている商品販売サイトもある。両方で調べてみよう)→ステレオミニプラグx金メッキ紅白ピンプラグ→ミニコン背面の紅白ドック端子入力→スピーカーという流れを考えた。かかった費用は正味二千円である。方法は従来のトランスミッターよりもBluetooth方式のオーディオレシーバーが安価なのでそっちを採用。もともとJBLのヘッドホンがそっちの方式なのでそれに準じた。それと金のピンプラグも含めてのお値段だ。効果と費用で見れば、大合格点。先に言うと大成功である。
 オーディオレシーバーの品目は結構充実していて、オプティカル接続(光伝送)なら、今回の倍ほどの金額でそっちも選択できたのだが、現在の住環境に見合ったことやヘッドホンとのシェア環境なので、慣れたピンケーブルを選んだ。ミニコンはおおよそ、もう十年近く前のものなので、それほどこだわらないという感じだ。それ以前は全部単品コンポだったので、結構な場所をとっていた。さすがに住環境にスペースを使いたいお年頃なので、いまはこれで十分満足である(大人になったと思うことにしている・笑)。スピーカーは小型のツーウェイで、クラッシック独奏、室内楽、コンボ程度のジャズ編成に向いた環境である(それ以前に私のミニコンのアンプは、オケを十分に再現するパワーを持ったアンプではない。でも、値段の割に電気抵抗音の少ない静かな環境なので、小編成の奏でる音楽にはそこそこ向いたミニコンである。頑張っていると思う)。そんなわけで、真剣にオケを聴くときはヘッドホンにしている。ちなみにそこそこのパワーのあるアンプと仕上がりの良いスピーカーさえそろっていれば、単品オーディオの場合は二、三十年まえのものでも十分今のすべてのジャンルの音質に対応してくれるということだ。
 接続完了してみて、出てきた音は十分満足できた。結構クリアだ。しかもパソコンがソース原盤となるので、iTunesの場合イコライジングにデフォルトで自分のリスニングジャンルを選べる。今回はピアノ曲で試したので、その画面でご覧あれ。以前使っていたのがパソコン用のスピーカーなので、高音のみのシャリシャリした音だったが、ちゃんとオーディオの音で再現できているのに大満足というわけだ。アコーステックや小編成のジャズ、ポップスなどのベース音がいぶしたように蘇る。満足である。私の聴いているクラッシックの盤の中では、ピアノ一台でのコンサートホールの跳ね音が心地いいものがあり、それもそこそこ再生できていたので合格である。CD再生の時となんら変わりない。かえってクリアにさえ思う。ピアノ一台の音は調整状態がすぐにわかる。オーディオの音調整には最高な楽器である。位相判断もこれでばっちりだ。位相とはスピーカーの接続状況の正しさをいう。
 というわけで、相変わらず長い前置きを終わらせて、本題に入ろう。
 
 この時期はバラ園のバラも無垢な株が希少になる。ピンクのバラにきれいなものがあったので、大口径を少々ハイキーにして撮った。うん、作例のようにきれいな円形ボケの写真が撮れた。港の見える丘公園は、ものすごい人で自然満喫というわけにはいかなかったが、展望台の脇から最近できたウッドデッキを渡るとフランス山に行く。この橋の端にある井戸から(別にダジャレではない)、大階段までの間が私の自然満喫ゾーンである。木立に囲まれ、鳥がさえずり、初夏には白い自生っぽいユリが(テッポウユリの仲間と思うのだがちゃんと確認はしていない)、咲いている場所がある。森の香りのする場所だ。もちろんユリは夏の花なので、今は咲いていない。ここは、みどり一色の木漏れ日の中で、風車が回っているフランス領事館公邸遺構のある優雅な空間である。写真は風車とマリンタワーの並んだものである。ちなみに青空のベイブリッジの写真について、そのボードウォークの橋のイギリス山寄りから撮るとこんな感じできれいに構図が上手くいく。もし良かったら参考にしてほしい。この公園の中の他の場所では、ここまで他のものが入らず、すっきりとしたベイブリッジを主役に撮るのは難しい。
 最後の花のある写真は、マリーゴールドやケイトウの仲間が植えてある山下公園の花壇である。もともと野草を撮っている私は、園芸品種に疎い。ここではただ構図として撮っている。標準マクロで手前にピントを置いて、後ろをぼかして奥行きを出す。これまた作例っぽいものでスミマセン。
 途中で買ったおにぎりを港の見える丘公園のベンチで食べながら、マルハナバチが一生懸命頑張っている姿を見ていた。みどりの中でおにぎりやサンドウィッチを食べているとピクニック気分でいいものだ。そして先ほどのフランス山で、森林の香りを味わい、階段を下りて、山下公園で潮風の香りを味わう。ほんのつかの間の小さな自然を感じる時間である。
 おまけに大桟橋で大きな客船が着いていたのでそれをアップしておく。あともうひとつは山下公園通りのイチョウ並木。人形の家付近から撮ったものもアップしよう。この付近を歩いていたら、銀杏のにおいがしていた。少しずつ秋の気配が近づいてきたようである。
 ではまた近いうちに自然と文化、芸術の香りをお届けしたい(格好つけて書いたけど、いままでもお届けできているのかな? ・笑)。

『ピーナッツ』を知らない人はこちらをどうぞ。
https://www.snoopy.co.jp/friends/
(最近手に入れたが『ライナス アンド ルーシー』いいピアノ曲だ(^^)♪。おすすめはVince Guaraldi Trioのジャジーなピアノ、スクラッチドラムの演奏。)

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54 久しぶりのポップス [世間話 イベント]

 先日、懐かしいメロディーが耳に入ってきたかと思ったら、アレンジは今風(数年前の曲らしい)。『プリーズ・ミスター・ポストマン』という曲を、The Saturdaysというイギリスの綺麗な女性たちが歌っていた。焼き直しだ。古くはマーベレッツというモータウンのグループが歌い、ビートルズ、カーペンターズもカバーしている。
 なぜこんなことを書き始めたかというと、ありふれたこの曲、いままでなら右から左へ抜けていた。なのに、ビートルズで聴いていたのもあったのだろうが、耳に素直に残ったからだ。良い時代になったと思うのは、即座にググる事が出来る。以前、ネットのない時代ならCDショップやラジオ局に訊ねるか、再びその歌にラジオで出逢うまで正体不明だった。時代をこえた、世代をこえた曲の歌詞が甘酸っぱいというか、ここで今更あらためて聴くと「青春を謳う曲だな」と思ったのだ。要は素直に自分の中で頭に残った。自分もそこそこの歳と言うことか? (笑)

―ちょっと待って、郵便屋さん。こっち、こっち。あなたのカバンの中にわたしの手紙がありませんか? ボーイフレンドからのはがきや手紙あるでしょう。郵便屋さん、わたしはずっと長いこと待っていたんです(拙訳・拙くてすみません)―

……と歌っている。歌詞カードすらあまり読まない性分で、しかも母国語じゃないわたしにもストレートに入ってくる歌詞だ。そして一番の驚きは、WEBやE-mail全盛の昨今に、アナログ感全開の歌詞で、この曲がなぜイギリスの若者たちの間でヒットしたのかが不思議に思った。歌い手さんの魅力なのか、かつての若者だった人たちが支持して、チャートに上がったのかは不明だ。わたしの知る由もない。一番嬉しい気持ちでいるのは、郵便物のPRにもなりそうな歌詞なので、ロイヤル・メール(英国郵政公社)かも知れない(笑)。この情景、舞台が日本なら、かつてのシンデレラ・エキスプレスばりのCFが作れそうである。

 このブログでは、たまたま『アイ・ウィル』や『ティル・ゼア・ウォズ・ユー』などのビートルズのカバーソングを過去に話題にしてきたが、いずれも品の良いブルーグラスやミュージカルの挿入歌である(別にこのお姉さん方も品は悪くないですよ。正統派のポップスって感じです・笑)。ここで取り上げたのは、ノリの良い曲調とアナクロにさえ思える歌詞のミスマッチに不思議な感覚をおぼえたからである。

―遠くにいるボーイフレンドからありったけの言葉が今日綴られてくるはず。お願いです。郵便屋さん、察してほしい、手紙ありません? わたし宛の手紙ひとつ。ここでねばって、郵便屋さんを待って、ずっと立ちっぱなしなんです(拙訳・度々拙くてすみません)―

 お馬鹿なわたしでも、なんとか意味が通る程度には伝わっているようだ。感性なので、細部の勝手な意訳はご勘弁願いたい(単語とニュアンスは足していないので、残念で不出来な訳でも忠実な訳ではある。つまり出来の悪い逐語訳である)。私ごとき、その程度の訳語能力、おつむと悟って残念に思ってほしい(笑)。

 ちなみにわたしが高校の軽音に入部の際に弾いたのは、『イエスタデー』。アコースティック・ギター一本で弾いた。入部できたので一応合格ラインだったのだろう(笑)。
 この曲は奏法として、通の間でマッカートニーの有名なエピソードがある。通常わたしは親指でベース音となる五六弦を弾き、残りの和音を人差し指、中指、薬指で同時に鳴らす。したがって完全なアルペジオではない。なにがエピソードかというと、マッカートニーはこの和音を三本の指を使わずに、人差し指、ないし時に中指を加えた一二本で、下に払うように爪の甲を使って、いっぺんにはじくのである。不思議な弾きかただが、何遍見ても真似出来なかった。すぐに諦めた。結果的に弾ければ、手段や経過はどんなものでも良いのだと割り切った。ついでに言うと、マッカートニーはバレーコード(代表的なのはFのコードかな)も人差し指一本ではなく、親指と人差し指の輪っかで押さえる。『ブラックバード』や『アイ・ウィル』の演奏でそれは確認できる。まあ、これはたまに他のアーティストにもいるので、独特というほどではないが。
 最近は、大人の趣味として楽器が売れているという。レンタルも含めてなのだが。かつては楽器というと、若者の特権のように思われていたが、わたしよりも年上、それもかなりのご年配の方がエレキギターやコントラバスをケースで担いでいたり(もちろんキャリア付きで転がしていますけど)、フォークギターを背負っていたりする。それもすごい人数をお見かけする。そしていい音を求めた、聴くだけの人たちも増えた。高音質な密閉型のヘッドフォンで、町中を歩いているのを目にする機会がとても多くなった。
 楽器に関しては、オケの団員やプロのミュージシャンでもない人が、昔を思い出して、あるいは昔出来なかった無念(?)を晴らすために、やっているかな? なんて勝手に思っている。実際、制約を受けずに楽しみながら、音楽を奏でるのも個人の自由だし、指を頻繁に動かすため、お年寄りにはほどよい脳の活性化になると言われている。生涯学習の課題として、楽器演奏をなさる方も多い。
 そう考えれば、『プリーズ・ミスター・ポストマン』がリバイバルヒットするのも分かるような気もする(これ自分勝手な結論、合点です)。もちろん楽器メーカーさんの努力もあるのだろう。ただそれにも増して、潜在的に音楽を楽しみたいという純粋な気持ちの人たちが、手軽に音楽と向き合える時代が来たと考えるのも悪くないと思った。

次回は横浜山手で花を写すつもりだ。


おなじみのヘフナー・ヴァイオリンベースを演奏するマッカートニー
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(画像はちゃんと持ち込み検査も受けて、許可をいただいたカメラで撮ったもの。しかも個人の趣味のブログなので、アップOKとアナウンスに見合っているため、ルールに従いアップしました)
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53 遊べる趣味の文学ざんまい [リベラルアーツっぽい話]

 考えてみるとこのブログは、音楽や美術(写真も含め)の鑑賞のことが結構比重を占めていたように思う。タイトルも改変したので、ひとつ文学部出身ということもあり(実はあんまり関係ないのだが・笑)、文学の手短で、ゆるい鑑賞法を一緒に共有したいと思う。この見解はあくまで楽しむための手法である。
 学生時代「文学概論」という授業があり、文学部の学生は全員必修で、この授業もとてもお気に入りの授業だった。わたしの学年は英文学の先生が担当なさっていた。この授業で習った文学タームを元に、やはり図書館にこもって用語調べをしていた。楽しみだった。時間が無いときは、古書店でそのままその本を買って自宅読みをしたこともある。
 また小説の作られかたや文学入門の概説書などでも書かれているオーソドックスな内容なので、知っていても損はないと思う。
 例えば、文学、特に近代文学の小説の構造は、タームで言うと、「テーマ」、「プロット」、「バックグランド」、「キャラクター」などが主な要素になる。もう日本語になっている用語なので、そのまま並べると順に、「主題」、「筋立て」、「背景」、「登場人物」である。
 このうち文学がなぜ絵画や音楽と同じ芸術なのかというと、「主題」を持つ創造作品だからである。これは写真や映画にも言えることだ。同じ主題を持つ作品でも、論文や報道レポートなどは、学術考察、ノンフィクションなのでおおよその場合、芸術や文芸とは言わない。ただしもちろん例外はどこにでもある。
「主題」で一番わかりやすいのは、タイトルが主題の作品になっているもの。例えば、武者小路実篤の『友情』である。そのままテーマは友情だ。友人関係と恋愛の狭間で悩む主人公の葛藤が美しい話だ。興味のある方は一度お読みいただきたい。結構短い作品なので、三日坊主にならずに読み終えて、しかも高尚な作品なので知人に自慢できる(別に無理に自慢する必要は無い・笑)。
 また社会派の文学の基礎のような作品テーマも、実はシェークスピアの時代には出来ている(正確には後の時代にそう評価された)。借金の担保として、胸の肉一片を渡すというお話は何処かで聞いたことがあるのではないだろうか? この物語の面白いところは「血を一滴も流さずに」という禁じ手を加えたことにより、決まり事を出し抜いたという「まんまとしてやった」というオチである。故にこれはもともと喜劇の部類に入っていたのだが、近代の評価では法の解釈の有用性が強調され社会派的な扱いを受ける作品になっているということだ。
 似たような社会派作品だと森鴎外の『高瀬舟』なども安楽死の問題と絡んで、位置づけがなされている。とくに鴎外の場合はもともとが医師なので、その辺りの法的な基準をテーマにしやすかったのだろう。
 プロットのおもしろさというのであれば、演劇作品の際立ちが大きい。『ピグマリオン』というより、映画『マイフェアレディ』といったほうがわかりやすい。なので映画の内容を思い出しながら書いてみよう。
 ロンドンの下町なまりの花売りの少女が、上流階級の言葉と身だしなみを与えられて、ステキなレディへと変身していくさまを描いている。オームがえし言葉で逃げ切った競馬場の場面では、思わず笑ってしまった方も多いのではないだろうか? 主人公のイライザが、品位と知性を身につけていくと、偉く見えた言語学者の先生が、実は利己的で自分勝手と言うことが見えてしまう。でも愛しくもある。複雑な展開がある。
 一方のイライザの父親もたかり癖のある貧乏なその日暮らしから一転、億万長者になってお金が貯まりすぎていらいらするなど、コミカルな筋立てで物語が流れていく。この作品のテーマを吟味した所見は、階級社会であるイギリス社会での、上流階級への風刺とも言われている。
 イライザに恋する青年、フレディ役は、ジェレミー・ブレッド。このブログでもご紹介したグラナダテレビの人気シリーズ『シャーロックホームズの冒険』でホームズを熱演した俳優さんである。
 ちなみに映画のタイトル、『マイフェアレデイ』は一説に、高級ショッピング街のロンドン「メイフェア街」を下町なまりにすると「マイフェア街」と聞こえるからと言う意見を聞いたことがある(請け売りでいうと、子音Yの前のAは{ei}と読まずに{ai}と読むため、メイがマイに聞こえる。日曜日のサンデーがサンダイなるのと同じ理屈だ)。そんなセレブ御用達の街にふさわしいレディになるさまを描いているプロット仕立ての物語なので、タイトルを入れ替えたとも。『ピグマリオン』 もギリシア的というか、文学的で良いタイトルなのだけれどな。
 このように筋立ての思わぬ展開が読者や鑑賞者をどきどきさせたり、共感して感情を入れ込んだりする役割になる。そこに高尚なテーマや普遍的なテーマが入ることで、一気に芸術性が増すというのが、この手の文学のありがたみなのである。
 ついでなので、古典文学の場合はどんな分類方法があるかというのも軽く触れて終わりにしたい。現代のものではなく、昔の文学は鑑賞と言うよりも、分類で歴史的価値や文化の流布、移動を読み解く鍵になる。その役割のほうが現在は重要に感じる側面もある。もちろん教訓オチの多い古典や昔話の類では、バックグランドから現代の私たちと同じ心情などをくみ取ることも大切である。ただ文化全体の流れの中で、口承に近い形で人から人へと語り継がれて、時代や地域を渡り歩いたプロセスが、まるで悠久の時を経て完成した伝言ゲームのようで、文化圏のパーティションを教えてくれるのも興味深い一面とも言える。即ち換言すると、ある意味では歴史研究の補助学問に相当するという場合があるようだ。とりわけここでは、浅学の私ごときがご案内できるごく一般的な、どの国の文学作品にも通底して、適応できる分類方法を取り上げる。
 一例として、某譚という分類をするやり方を見てみよう。昔話や神話の類をエピソードの似ているものでカテゴライズする方法だ。これだと世界中に類似性のあるプロットや展開が散らばっているので分類しやすい。近隣諸国の場合だと(特に地続きの欧州など)、どこからかの影響を受けているという調査やルーツの研究もしやすいそうだ。
 挙げていこう。長者没落譚なら代表的なのは『山椒大夫(安寿と厨子王)』、英雄譚は各地に散らばっているので特に沢山の例はいらない。有名どころでは『アーサー王伝説』などかな。名剣を真鍮(岩だったかな?)の塊から引き抜く辺り、こどもの出来る技ではない。やはり英雄は違うのだ。異類婚姻譚なら『鶴の恩返し』や日本神話の「ニニギノミコトとコノハナノサクヤヒメの話」、「三輪山の神さまの話」など、貴種流離譚なら日本神話「大国主命の話」や『オデュッセイア』、動物報恩譚は再度『鶴の恩返し』や『浦島太郎』等もこれに当たる。他にも沢山の分類する某譚はあるのだが、ゆるい話の本稿はこんなもので良いと思う。後は気になった人はご自分で、他にどんな分類があるのか調べてみるといい。これ以上深く掘り下げるとわたしは熱中してしまうのでやめておく。
 これ以外にも他の方法で、神話の分類には、「バナナ型神話」分類もあり、このサンプルは世界中にあるという。スコットランドの偉い学者が名付けた分類方法である。不死と短命の分類方法らしい。これもまた興味のある人は調べてみるといい。もしこの時代、この物語の主人公になったとして、あなたはイワナガヒメとコノハナノサクヤヒメの両方を娶れるかという問いに、選択肢によってあなたの運命が決まるというお話である。興味のある方は日本神話を読んでみよう。永遠の命と限りある命。「なんか、小学校時代少年誌に連載されていたSLが宇宙を走るマンガにも、そんなテーマがあったなあ」と思い出してしまう。感慨深い。
 久々に文学、深いなあと思った。一応学費分以上の勉強はしたんじゃないかと自負している(笑)。これも自分で思っているだけだが。
 生涯学習は、教養を楽しく身につけることから始めるのがいい。そんなお役にたてば嬉しいのだが。
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52 オーディオシステムの昔話 [世間話 イベント]

 レコードがCDに切り替わる頃、オーディオメーカーさんのオーディオアドバイザーというアルバイトを七年ほどしていたことがある(要は学生時代全部だ)。土日はこのアルバイト、平日は別のバイト。いろいろな意味で、元気だったなあと今考えると思う。
 それ以前、高校は軽音楽の部長(肩書きだけでなにもやっていないのだが)をやっていたので、そこそこ音楽に興味のある人間だったと思う。わたしのいた軽音は名前だけの軽音ではなく、ちゃんと軽音楽やっていた。だからアコースティック・ギターやヴァイオリンベースが馴染んでる。先輩にはバンジョーの達人っぽい人もいた。わたしに関しては、もう最近指の動きも鈍いので、たまに楽器のためにいじってあげるのがイイカナという程度で、お手入れがてら楽しんでいる。もっぱら聴くほうが多い。
 話を戻そう。その当時の単品コンポやミニコンポでは、ちょうどDAコンバーターという変換回路をどこに積むかという変化が起きていた。要はCDに刻まれているゼロイチ信号をアナログ信号、つまり音に近い記録信号に変換するのを、CDプレーヤー内ではなく、アンプで変換するといい音になるという理屈である。ちなみにわたしは理系ではないので、販売や趣味、解説の上での理屈しか知らない。その辺は考慮願いたい。入門編といったところのお話としておさめていただければ幸いだ。
 そこで出てきたのが光伝送という方式だ。それまでの赤と白のピンジャックケーブルでアンプとCDプレーヤーを繋ぐのではなくで、ゼロイチ信号のまま、光ケーブルでアンプに送って、そこでアナログ変換と音変換するという方法だった。だから光伝送だ。当時この方式のミニコンポのテレビCMに使われたのは、ショパンの『幻想即興曲』だった。光という言葉が新しかった。理屈としては電気抵抗や転送劣化を防ぎ、ピュアな音を再現できるというものだった。
 スピーカーについても、スリーウェイが主流になりつつある時代だった(ジャズやアコースティックと室内音楽などを主に聴く、わたし個人はツーウェイ派だったんですけど・笑)。スリーウェイというのは、スピーカーの箱に丸いコーンが三つあるタイプで、上からツイーター、ミッドレンジコーン(ミッドスコーカーとも)、ウーハーとなる。光は可視光といい、人間に感じる明度があるが、音にもあって高音波、高周波の領域では耳に聞こえないものがあるが、振動と波長が降りてくると高音の「音」になる。その領域がツイーターの復元領域。この辺りの音は音の波が小幅なので数メートルで届かなくなる。ハープの高音域やトライアングル、ハンドベルの高音域など、頻繁に出されるとキンキンして不快だが、適度に入ると涼しげで澄んだ音を奏でてくれる。
 人間の声、おおよその主旋律を弾く楽器、とりわけ金管楽器や木管楽器、ピアノなどの中音域を拾うのが真ん中のミッドレンジと一番大きなコーンのウーハーである。ヴォーカルをミッドコーン、音の広がりをウーハーが担当しているというメーカーさんのものもあった。この音域がしっかりしていると、ヴォーカルのブレス音はもちろんのこと、ジャズドラムのハケのスクラッチ音が渋く響く。結構個人的にはこれがたまらない。そして同じくこの音域がきちんと再生されていて録音原盤がクリアだと、ピアノの八十八鍵盤のうちの高音スケール、低音スケール、両端の鍵盤からでたピアノ線の音色の他に、鍵盤自身のカタンという木片の音のようなプッシュ音まで再生されているのも聴かせてもらったことがある。一般の家では無理だが、フェアやイベントなどに立ち寄ってみるといい。臨場感満点の感動ものだ。
 そして低音から超低音である振動と音の境目までを再生してくれるのがウーハーということになる。ウーハーのコーンの大きさが何センチとか何インチとかとこだわりのある人は、この振動すれすれの音を再現してくれるのを楽しみにしているからだ。コントラバス、ウッドベース、ティンパニーの音の再生はここにかかっている。お腹に響く音だ。ただしこれ半分は振動なので、建物や構造物を共振して、隣の部屋などに伝わってしまう。離れたところでもカラオケなどのベースの音だけが伝わって聞こえるのはそのためだ。都市部の家で大音量で聴きたい場合、防音設備のある部屋でないと、大インチのウーハーを持つスピーカーシステムは設置できないというわけだ。それを電気的に聞こえやすく振動を音に近づけたのがスーパーウーハーシステムである。電気的なので違和感が多少あるが、いままで聴くことができなかった楽器や音の再生がかなったという部分で、当時としてはすごかった。こういうのをダイナミックレンジ(音周波数の幅)が広がったという。
 ちなみにスピーカーは何で四角の木の箱かというと、答えはアコースティックギターと一緒である。裏面に必ずエアダクトを兼ねたサウンドホールがある(なければ何処かに必ず穴らしきものがあるはずです)。共振しやすい素材の木製で、共振した振動を外に逃がす役割を担っている。ピアノの天板が開く構造も一部は同じ理屈で、中で音が反響しないようにするためである。大きな意味ではスピーカーは、構造面から見たなら楽器の仲間ともいえるかもしれない。
 周りが固い素材の室内では高音が吸収されないので、窓を開けたりカーテンなどを全体に張り巡らせている小規模な演奏会場などもよく見た。高音は反響しやすく、返しの多いだぼついたぐずぐずの音になりやすいそうだ(洞窟やトンネルの中、お風呂場などを思い出そう)。柔らかい素材は振動を吸収してしまうので、高音は布やスチロール材などの壁にすると跳ね返らないらしい(ラジオ局や学校の放送室の壁を思いだそう)。低音は既述の通り壁全体で受け止めて共振するので、その場のオーディエンスの耳には残らない。壁を伝ってどっかに行ってしまう。
「音の抜けがイイ」というのもこのことだ。ただし、いまは随分と変わったようで、ここ最近は調音ボードや調音パネルの性能が良いらしく、専門家がやれば、難なく手短に、そこそこ環境設定は出来ると言うことだ。とりわけオーディオの再生は、本当の専門家がやると素晴らしいものになる。感動的なセッティングをイベント会場で、数回ほどお見受けしたことがある。
 他にもアンプの出力ワット数と音の関係、真空管アンプの柔らかさや、今はほとんどみないカセットテープのアジマス調整、メタルテープを使ってのノイズの消去録音など、当時のオーディオファンにとって、きっと興味は尽きなかったのだろう。
 記録媒体はオープンリールから8トラック、カセットテープ、そしてDATやMDからCD-R。さらにはMP3再生など、媒体を使わない録音まで登場して、わたしはもう浦島太郎状態に近い(笑)。わたしはカセットテープからの世代だ。幼少期にその前の8トラやオープンリールは存在を覚えているが、扱ったことはほとんど無い。
 でも音楽が人の心を癒やしてくれるのは、いつの世も変わっていないと感じることができるのは嬉しいことだ。七年もやっていたのでもっと話題はあるかなと思っていたが、意外に残っていない。忘れん坊の称号をいただけるほど、忘却力だけは負けない(威張れることでもない・笑)。知識のおつりで書けることはこんなものである。おそらくこの話題のシリーズ化は無理かも知れない。(筆者ポンコツのため)
 最後にもう一度お断りしておくが、わたしは技術者ではないので、大ざっぱな見解であり、精密、厳密な理屈をここで掲げてはいない。入門や初心者向けのわかりやすい案内をしたまでだ。しかも二十年も前のオーディオ機器の話なので、思い出話として受け取っていただけるとありがたい。実際わたし自身も、今は単品コンポを使ってはいない。ミニコンポである。そして性能のいいベッドフォンが今は出回っているので、大きな音での再生、再現をしたいときはそれに限る。それがシエスタのお伴である。
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51 ちょっとだけliberal artsっぽい話-パリ回想- [リベラルアーツっぽい話]

「photo message board」 としての最終回である。そして「I'll follow the sun-liberal artsっぽい話」という表題でブログの更新をしていく初回でもある。どちらに載せても大丈夫な内容にしている。
 今回の新装した理由。これまでわたしの生涯学習の成果発表を写真展として行ってきたが、今後の主軸はブログになるためである。割合の問題でこちらに比重がおかれる。もちろん写真展もやめるわけではないが、手軽に、身近に発表や閲覧可能なブログにシフトすることが、今のわたしにとってはベストだからだ。
 もうひとつはこのタイトルでは収まらない時代になったからである。ボーダーレス時代と言われてからも久しいが、このブログも様々な分野に跨がっている。それらの中心、主題にあるのが、文字通りliberal arts 、つまり「芸術・文芸」の内容と言うわけだ(高等教育機関の一般教養科目もliberal artsというが、もともとの派生は教養という意味で文芸を意味するところから来ている。ヨーロッパ人にはもともとたしなみの一部で、今も適応しているかはさておき、昔から成人していると知っていなくてはいけない知識なのである。common senseとはまた違った一般常識というのかな?)。
 前々回のイギリスの話に続いて、今回はフランス、パリ。イギリスやったら、フランスもやらないとと勝手に思っている。学部時代に「フランス文学史」の先生がいい話をたくさんしてくれたので行ってみたくなったのが理由だ。俗ラテン語の話やジッドの話。読んでみると『田園交響曲』は心にくるものがあった。どことなく田山花袋の『蒲団』にも似ていたイメージを持った。他にルソーやモンテスキューの話。実は実証史学のもとになったひとつは、意外にも『法の精神』なのである。門外漢の研究書が別の分野で役に立つ好例である。
 初めてパリのカフェで「オレンジジュース」を注文したとき、親切なパリの学生さんが(自分も学生だったけど)、片言の英語で「座るとお金がかかる」というニュアンスのアドバイスをくれた。こっちもおぼつかない英語で会話したのを覚えている。その時飲んだのが「オランジーナ」。まさか、日本でも飲めるようになるとは思いもしなかった。あちらでは当時瓶が主流で、まるで水時計や砂時計を起こすように、瓶を逆さまにして沈殿物を混ぜ合わせてから栓を抜いていたのを覚えている。
 目的地は、オルセー美術館。絶対にオルセーだった。勿論ルーブルだって外せない。モナリザなどルネサンス、バロックの絵画も気になるが、やはりモネだった。印象派、そしてその中心のモネ、というのが、その当時のわたしの絵画のこだわりである。
 メトロの中でびっくりしたのは、突然、コントラバスとアコーディオン、フィドルをもった三人が乗り込んできて、ジャズやシャンソンを奏で始める。乗換駅に来ると、向かいのメトロに乗り換えて、また演奏をしていた。日本では見たことのない光景に驚かされた。これをカルチャーショックというのかも知れない。
 そんな珍道中を経験しながらたどり着いたオルセー。廃止駅舎を利用した美術館だ。駅の構造物である天井の高いドーム駅舎の中に、スタンドや台座のように二階部分が増築されていた。時計台を背に、広い階段を登って印象派絵画の待つ展示室に行った。ドームの辺りはガラス張りで、温室のように開放的で明るかった。残念ながら二十年以上前なので、絵の配置までは覚えていないが、漸く本物に会えた喜びと感激は今も胸に残っている。
 クシェットという寝台車で車中泊をしながら北駅に着き、サン・ラザールという駅(だったかと思う)からカレーを目指した。その間の途中滞在で二三日だったが、朝の駅構内のカフェでクロワッサンとコーヒーで気分を出した(コンチネンタル・ブレックファースト)。モンマルトルで、遠目に風車のネオンサインを見たり(昼間なので電気はついていなかった)、シテ島を散策したりと良い思い出を作った。どこに行っても散歩をしているわたしだ。気分は印象派。少々お馬鹿な旅行者? ただ目的地はとにかくルーブルとオルセーだった。あとはパリ市の歴史博物館なども見て回った。
 今回、単なる紀行文、思い出話にしたのは、ルーブルやオルセーの話を詳細にしてしまうと、別に美術館のブログをやっているので、それとかち合ってしまうためである。でも街角からシャンソンが聞こえるって、気分をかき立ててくれる。風景というのは目だけでなく、音の臨場感でも感じることが出来ると教えてくれたのもヨーロッパの空気たっだ。その時からアコーディオンがおしゃれに聞こえた。スイングスローでコシミハルさんが弾くアコーディオンが、なぜかそのときパリで聴いた音楽を思い出させてくれる。

画像は①エッフェル塔②ルーブル美術館③オルセー美術館。ロンドンに続きフィルムおこしなので画像劣化はご勘弁いただきたい。

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ルーブルピラミッドp10.jpg

オルセー正面p10.jpg

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