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57 一冊の本から見るナショナルトラストの文化面(少し真面目なお話5) [少し真面目なお話]

『図説英国ナショナルトラスト紀行』という本がある。勿論ナショナルトラストの本なのだが、読みようによっては、英国文化人の逸話の本にもなり得る。このブログではナショナルトラストの歴史的価値にしか触れておらず、現在のプロパティについて触れたのは微々たるものである。理由は簡単で、わたしが歴史的な見地に知識が偏っているからである。いままでも湖水地方やロバート・ハンター、ヒル、ポターなどのエピソードはことあるごとにつけ触れてきたが、ナショナルトラストの「今」はほぼ初めて扱う。わたしも知らない「今」を教えてくれるこの本の有用性とおもしろさを伝えるべく、そんなわけで、今回は書籍案内といきたい。
 この本の著者である小野まりさんという方はナショナルトラストの楽しみ方をよく知っている方だと思う。本書のあとがきのところでも、彼女のその感性を拾うことが出来る。プロパティにいると嬉しいという気持ちをお持ちのようで、その気持ちは本文の事細かな説明やナショナルトラストの知識を集めた巻末の部分でもよく分かる。わたしが十九世紀西欧文化に触れていると楽しいのと同じなのかな? などと思っている(わたしなどと一緒にしたら失礼かな・笑)。
 この本が扱っている主な文化人や歴史人物を順に拾っていってみると、ワーズワース(詩人)、ジョン・ラスキン(美術評論家・大学教授)、ベアトリクス・ポター(絵本作家)、ウィンストン・チャーチル(元首相)、ウイリアム・モリス(芸術家・インテリア作家)、アイザック・ニュートン(科学者)、バーナード・ショー(作家)、トーマス・E・ロレンス(考古学者)、アガサ・クリスティ(作家)、ジョン・レノン(音楽家)、ポール・マッカートニー(音楽家)などの生家やもと所有の家などである。これらは皆、ナショナルトラストが委託を受けて、管理や手入れをしているプロパティである。
 これらのプロパティにそれぞれの説明文が載せてあり、そこには大まかな元所有者などの人生や偉業か書かれている。例えばニュートンを知る人は多い。リンゴが木から落ちる現象から万有引力の法則の着想を得たことは、何処かで皆が知ることになるエピソードである。そしてこのニュートンの家には、窓から見えるリンゴの老木があるそうだ。それが引力の発見に貢献したリンゴの木である。
 あるいは教区に10人足らずの人口しかない牧師の館が、廃止となる際に買い手を探していた。そんなときに田園生活へと移行しようとしていたショー夫妻の元に物件購買案内が聞こえてきたため、牧師の館はショーの創作アトリエになった。『ピグマリオン』(映画のタイトルは『マイ・フェア・レディ』)で有名な劇作家である。庭の片隅には執筆小屋も残されており、タイプライターなどもそのまま置かれている。
 また元ビートルズのジョン・レノンが幼少期から青春時代を過ごしたミミおばさんの家(母ジュリアの姉)もミミおばさんがいなくなってから、オノ・ヨーコさんが買い取り、ナショナルトラストに寄贈委託したのだという。この家の裏手には楽曲で有名になったストロベリーフィールドもある。この家とその時代を思って作り上げたのが『イン・マイ・ライフ』という曲で、人生観を綴った詩と間奏部分のピアノが美しいことでも知られている曲だ。
 ほかにも映画のハリーポッターシリーズやバーネット夫人原作の『秘密の花園』などの舞台となったプロパティ、紅茶の美味しいプロパティ、バラの花の美しいプロパティなどなど、英国の文化や習慣が沢山詰まった楽しい本である。
 わたし自身がこの本を良いと思った理由は、その装丁とレイアウト(台割り・ページ割りを含む)にある。カラーグラビア印刷のページがふんだんにある本は、大抵読み応えがない。ところがこの本は写真も豊富、説明も豊富と一番知識を得るのに有用な形態をしているからである。ビジネス上のご迷惑になるので、本の中身は写せないが(正確には公開できないが)、まず読み応え、見応え十分な内容である。少しでも英国やナショナルトラストに興味がおありの方にはおすすめである。一般的な書店や図書館には、ほぼおいてある河出書房新社のふくろうの本シリーズなので、何処かでお手にとって確かめていただけると、わたしのここで述べていることがご理解いただけるだろう。そんなわけで今回は、文学や文化、自然保護などにつながるお話ということで、一冊の本をご紹介した。
 蛇足だが、四年目が近づくこのブログ。最初のスタート時はページビュー(閲覧数)月に二桁前半、正確には15回弱程度だった。きっと四、五人しか来ていない(のどかだ・笑)。それがありがたいことに、この自然や歴史、文化、写真、生涯学習といった地味な内容にもかかわらずひと月に四桁の閲覧数に達した(五桁にはほど遠いくらい。推測付くかな?・笑)。真面目にやってきた甲斐があったかなと思う。一重に遊んでいって下さる皆さんのおかげだ。この1割から2割程度が重複を除いた実人数かなと思っている。もちろん何十万というリピーターを抱えるような権威的あるいは人気のあるブログというわけではない。わたしもそのようなものを目指していない。出来る範囲で、自分の都合の付く範囲で、無理することなく、更新するつもりである。草の根のようなインターネットの端っこで文化や芸術の戯言を密やかに楽しみ合える皆さんに来ていただければ、それだけで嬉しく思っている。またお時間があるときは、なんの奇抜さも特典もないが、ぜひこの地味なブログを覗いていっていただきたい。大感謝。


次回はクラッシック音楽のホール、社会教育施設のご紹介といきたい。



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56 帰ってきた写真ギャラリーめぐりーお気に入りの写真家の話 [帰ってきた写真ギャラリーめぐり]

 芸術の秋ということで、作品としての写真や写真家の話をしてみたい。たぶん、私が一番最初に美しいと鑑賞や審美性の観点で感銘を受けたのは、緑川洋一と植田正治である。おそらくモーターマガジン社か学研の出す写真カメラ雑誌で見たのだと思う。きらきらと七色に光る黄金の海の風景。もう一方はモノクロの単一トーンの砂の中で浮かび上がる幸せな家族の表情や、それとはミスマッチな古風なお囃子用のお面である。
 写真を写すのが楽しくなり始めたころに出会ったのが、新聞社のグラフ誌に載っていたと思う前田真三だ。緑川のそれが光の芸術なら前田のものは色の芸術だった。北海道は美瑛の美しい花畑に、色のラインが幾何学的に並ぶ、何とも言えない美しさだった。プロの写真家も世の中には結構多くいるが、さすが著名でいくつもの賞をとっているだけある。これだけの写真家はなかなかいない。
 なぜいままで前田や緑川のお話をしていないかというと、あまりに細部の話に入り込んで独りよがりな内容になることが否めないからである(それぐらい好きということだ)。しかしこのブログもずいぶんと常連さんが増えてくださったので、知識の共有の準備は整ったと考えて、今回は私の好きな、単純に見ていて楽しくなる作品について、話を進めてみた。
 例えば前田の『麦秋鮮烈』という作品を見て、頷かない人はほとんどいない。既述のように前田はなだらかな丘陵地帯の畑に植えられた作物の持つ色を、幾何学的に配置した構図で作品を作っている。写真展では展示作品の前に必ず人だかりができるのは必至だ。ローキーな画面に暖色系の色のはずの紅色が、涼しげなトーンで、しかもすっと定規で計ったように大地を染め上げている。赤系の色をくすませながらも、ビビッドな主張をさせている美しい作品と言える。自然風景であるはずの畑が、まるで無機質に見えるところにこの作品の味がある。
 一方の緑川、『下津井沖の航灯』や『灯台と船』を私は最初合成写真と思っていた。カラーセロファンをよじらせて乱反射で彩色写真のようにして、あとで筆入れして作ると思っていた。ところが、これらはカメラの機能を多分に駆使して、フィルターを上手に活用して撮った現実の風景だった。こんなものが七十年代や八十年代にすでにフィルム写真で作ることができるというのも、今思っても驚かされる。ここで言うフィルターはデジカメに内蔵されているデジタルフィルターではなく、レンズにかぶせて特性を得る現実のフィルターである。
 そして『灯台と船』では、光と影のコントラストをいかすように、七色の海を背に船が影絵のように、シルエットだけで表現されている。これは芸術と言える絶品である。いまならグラフィックデザインやデジタル加工でうまくやれば、作ってしまう人もいそうだが、自然情景とカメラの機能だけでこれを撮りあげた技術に脱帽する。
 七十年代や八十年代は、映画も、写真も、テレビもカラーが主流になりだした時代だった。とりわけ七十年代後半は、天然色という言い方が庶民や地方にも定着した時代でもある。映画に少し遅れて、テレビもこの頃から徐々にカラーが浸透していった。十にも満たない私でも何となく覚えている社会風潮だ。それを先取りするかのように、おそらく緑川作品は世の中に夢を見せてくれたのではないだろうか。
『下津井沖の航灯』では直線に並んだ船の光跡が美しく仕上がっている。幾重にも並ぶ横線の光は、よくよく近づいてみると小さくジグザグを描いている。波に揺れながら船が進んでいる証拠である。長時間露光したおかげで海と陸の境もシルエットでわかるようになっている。風景写真としての美しさも持ち合わせた両面からの佳品である。
 今回取り上げた前田真三、緑川洋一は絵画の印象派のような美しさを持つ作品を多く産出した(と私は個人的に思っている)。例えば海のきらめきはモネやスーラの点描に見えるし、紅色の大地はゴーギャンやゴッホ、セザンヌのべた塗りに見えると勝手に思っている。後付けの理屈かもしれないが、でも私の審美眼(審美眼はたいしたものではないが、作品は素晴らしいものだ)にも訴えてきたのだと思う。これらの写真家の他に、いままで小出しながらご紹介している植田正治や星野道夫も私の心に刻まれた作品をつくった写真家たちである。もしどこかで見る機会があったら、写真展に足を運んでほしい。自然風景を好きな方ならきっとこれらの写真家の作品はお気に召すものになるだろう(ただ植田だけは、砂丘という舞台は自然だが、分類としては演出写真になる)。
 これらのほかに現役の先生としては、竹内敏信さん、今森光彦さん、米美知子さん、石川賢治さんなども、お名前を発見すると時間さえ合えば、写真展に行きたくなる写真家の先生方だ。みどりと風景、海や湖と風景を大切になさる方々の作品を拝見することで、心にゆとりと安らぎを感じることができるような気がする。
 今回は私のお気に入りの写真家を作品でご紹介した。画像は前田真三の『麦秋鮮烈』を表紙に使っている写真集と緑川洋一の『灯台と船』を表紙に使っている写真集である。現在入手可能かはわからないが、フィルム時代の名作を一度ご覧いただけると感動すること間違いなしである。
 今回は私の趣味にお付き合いくださり感謝である。好きな写真家はひとそれぞれだが、皆さんにとっての芸術的一枚が見つかると嬉しく思う。久しぶりにギャラリー訪問の手掛かりになる本来のこのブログの使命(?)的な記事をあげることもできたので、ちょうどよかった。こういった記事を書いていると、ギャラリー巡りや中古カメラ店巡りをしたくなる性分である。困ったものだ。

おまけ
リメイクされたクリスティのオリエント急行がこの冬公開される。ポアロの「灰色の脳細胞」が大活躍かな。悪天候で行く手を阻まれた列車に乗り合わせて、「偶然」を装った乗客たち。うーん、何度見ても見たくなるんだよなあ。トリックも、プロットも、時代背景も素晴らしいクリスティ。予告を見る限り当時のイメージをちゃんとそのままに復刻なので、楽しみである。

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55 私流よこはまの花便り14 & リーズナブルなクリアサウンド [私流よこはまの花便り]

 タイトルからして横道にそれる気満々である(笑)。その昔、洋物のカトゥーンフィルムが好きな知人に、「君はライナスっぽいね」と一度だけ言われたことがある。例えられても、誰だかわからないときは困惑するものだ。その後十数年して(長い・笑)、ライナスが『ピーナッツ(チャーリーブランウンと仲間たち=スヌーピー)』に出てくる登場人物と判明。しかも子供ではないか! 言われた当時はアラサー時代。それを言った知人と、もう行き来がなくなったころに判明しても、誰にも言えないので、ここでアラフィフとなった今、半分ヤケで述べてみた(笑)。加えておくと、私は『ピーナッツ』をちゃんと読んだり、テレビ漫画を真剣に見たことはないので、あやふやなところや認識不足はご了承願いたい。
 哲学の品位を持つ性格の登場人物なのだが、物静かで見守るタイプだ。はたして似てるかな? たぶん外見ではなく、性格や雰囲気なのだろう。私に毛布を引きずる趣味はない。布団を干す趣味はある(笑)。個人的には、オーディオ製品のキャラクターだった関係で、シュローターのほうが馴染みがあるのだが……。そんなわけで少しだけオーディオの話題をしてから本題に移ろう。(なんなんだろう。この導入部の一、二段落目。ちょっと強引なもっていき方かな?)

 先日、旧式のミニコンポと我が家のMacintoshを接続して、マックをオーディオにグルーピングしようと試みた。方法としては、Macintosh→ワイヤレスレシーバー(オーディオサーバーと書いている商品販売サイトもある。両方で調べてみよう)→ステレオミニプラグx金メッキ紅白ピンプラグ→ミニコン背面の紅白ドック端子入力→スピーカーという流れを考えた。かかった費用は正味二千円である。方法は従来のトランスミッターよりもBluetooth方式のオーディオレシーバーが安価なのでそっちを採用。もともとJBLのヘッドホンがそっちの方式なのでそれに準じた。それと金のピンプラグも含めてのお値段だ。効果と費用で見れば、大合格点。先に言うと大成功である。
 オーディオレシーバーの品目は結構充実していて、オプティカル接続(光伝送)なら、今回の倍ほどの金額でそっちも選択できたのだが、現在の住環境に見合ったことやヘッドホンとのシェア環境なので、慣れたピンケーブルを選んだ。ミニコンはおおよそ、もう十年近く前のものなので、それほどこだわらないという感じだ。それ以前は全部単品コンポだったので、結構な場所をとっていた。さすがに住環境にスペースを使いたいお年頃なので、いまはこれで十分満足である(大人になったと思うことにしている・笑)。スピーカーは小型のツーウェイで、クラッシック独奏、室内楽、コンボ程度のジャズ編成に向いた環境である(それ以前に私のミニコンのアンプは、オケを十分に再現するパワーを持ったアンプではない。でも、値段の割に電気抵抗音の少ない静かな環境なので、小編成の奏でる音楽にはそこそこ向いたミニコンである。頑張っていると思う)。そんなわけで、真剣にオケを聴くときはヘッドホンにしている。ちなみにそこそこのパワーのあるアンプと仕上がりの良いスピーカーさえそろっていれば、単品オーディオの場合は二、三十年まえのものでも十分今のすべてのジャンルの音質に対応してくれるということだ。
 接続完了してみて、出てきた音は十分満足できた。結構クリアだ。しかもパソコンがソース原盤となるので、iTunesの場合イコライジングにデフォルトで自分のリスニングジャンルを選べる。今回はピアノ曲で試したので、その画面でご覧あれ。以前使っていたのがパソコン用のスピーカーなので、高音のみのシャリシャリした音だったが、ちゃんとオーディオの音で再現できているのに大満足というわけだ。アコーステックや小編成のジャズ、ポップスなどのベース音がいぶしたように蘇る。満足である。私の聴いているクラッシックの盤の中では、ピアノ一台でのコンサートホールの跳ね音が心地いいものがあり、それもそこそこ再生できていたので合格である。CD再生の時となんら変わりない。かえってクリアにさえ思う。ピアノ一台の音は調整状態がすぐにわかる。オーディオの音調整には最高な楽器である。位相判断もこれでばっちりだ。位相とはスピーカーの接続状況の正しさをいう。
 というわけで、相変わらず長い前置きを終わらせて、本題に入ろう。
 
 この時期はバラ園のバラも無垢な株が希少になる。ピンクのバラにきれいなものがあったので、大口径を少々ハイキーにして撮った。うん、作例のようにきれいな円形ボケの写真が撮れた。港の見える丘公園は、ものすごい人で自然満喫というわけにはいかなかったが、展望台の脇から最近できたウッドデッキを渡るとフランス山に行く。この橋の端にある井戸から(別にダジャレではない)、大階段までの間が私の自然満喫ゾーンである。木立に囲まれ、鳥がさえずり、初夏には白い自生っぽいユリが(テッポウユリの仲間と思うのだがちゃんと確認はしていない)、咲いている場所がある。森の香りのする場所だ。もちろんユリは夏の花なので、今は咲いていない。ここは、みどり一色の木漏れ日の中で、風車が回っているフランス領事館公邸遺構のある優雅な空間である。写真は風車とマリンタワーの並んだものである。ちなみに青空のベイブリッジの写真について、そのボードウォークの橋のイギリス山寄りから撮るとこんな感じできれいに構図が上手くいく。もし良かったら参考にしてほしい。この公園の中の他の場所では、ここまで他のものが入らず、すっきりとしたベイブリッジを主役に撮るのは難しい。
 最後の花のある写真は、マリーゴールドやケイトウの仲間が植えてある山下公園の花壇である。もともと野草を撮っている私は、園芸品種に疎い。ここではただ構図として撮っている。標準マクロで手前にピントを置いて、後ろをぼかして奥行きを出す。これまた作例っぽいものでスミマセン。
 途中で買ったおにぎりを港の見える丘公園のベンチで食べながら、マルハナバチが一生懸命頑張っている姿を見ていた。みどりの中でおにぎりやサンドウィッチを食べているとピクニック気分でいいものだ。そして先ほどのフランス山で、森林の香りを味わい、階段を下りて、山下公園で潮風の香りを味わう。ほんのつかの間の小さな自然を感じる時間である。
 おまけに大桟橋で大きな客船が着いていたのでそれをアップしておく。あともうひとつは山下公園通りのイチョウ並木。人形の家付近から撮ったものもアップしよう。この付近を歩いていたら、銀杏のにおいがしていた。少しずつ秋の気配が近づいてきたようである。
 ではまた近いうちに自然と文化、芸術の香りをお届けしたい(格好つけて書いたけど、いままでもお届けできているのかな? ・笑)。

『ピーナッツ』を知らない人はこちらをどうぞ。
https://www.snoopy.co.jp/friends/
(最近手に入れたが『ライナス アンド ルーシー』いいピアノ曲だ(^^)♪。おすすめはVince Guaraldi Trioのジャジーなピアノ、スクラッチドラムの演奏。)

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54 久しぶりのポップス [世間話 イベント]

 先日、懐かしいメロディーが耳に入ってきたかと思ったら、アレンジは今風(数年前の曲らしい)。『プリーズ・ミスター・ポストマン』という曲を、The Saturdaysというイギリスの綺麗な女性たちが歌っていた。焼き直しだ。古くはマーベレッツというモータウンのグループが歌い、ビートルズ、カーペンターズもカバーしている。
 なぜこんなことを書き始めたかというと、ありふれたこの曲、いままでなら右から左へ抜けていた。なのに、ビートルズで聴いていたのもあったのだろうが、耳に素直に残ったからだ。良い時代になったと思うのは、即座にググる事が出来る。以前、ネットのない時代ならCDショップやラジオ局に訊ねるか、再びその歌にラジオで出逢うまで正体不明だった。時代をこえた、世代をこえた曲の歌詞が甘酸っぱいというか、ここで今更あらためて聴くと「青春を謳う曲だな」と思ったのだ。要は素直に自分の中で頭に残った。自分もそこそこの歳と言うことか? (笑)

―ちょっと待って、郵便屋さん。こっち、こっち。あなたのカバンの中にわたしの手紙がありませんか? ボーイフレンドからのはがきや手紙あるでしょう。郵便屋さん、わたしはずっと長いこと待っていたんです(拙訳・拙くてすみません)―

……と歌っている。歌詞カードすらあまり読まない性分で、しかも母国語じゃないわたしにもストレートに入ってくる歌詞だ。そして一番の驚きは、WEBやE-mail全盛の昨今に、アナログ感全開の歌詞で、この曲がなぜイギリスの若者たちの間でヒットしたのかが不思議に思った。歌い手さんの魅力なのか、かつての若者だった人たちが支持して、チャートに上がったのかは不明だ。わたしの知る由もない。一番嬉しい気持ちでいるのは、郵便物のPRにもなりそうな歌詞なので、ロイヤル・メール(英国郵政公社)かも知れない(笑)。この情景、舞台が日本なら、かつてのシンデレラ・エキスプレスばりのCFが作れそうである。

 このブログでは、たまたま『アイ・ウィル』や『ティル・ゼア・ウォズ・ユー』などのビートルズのカバーソングを過去に話題にしてきたが、いずれも品の良いブルーグラスやミュージカルの挿入歌である(別にこのお姉さん方も品は悪くないですよ。正統派のポップスって感じです・笑)。ここで取り上げたのは、ノリの良い曲調とアナクロにさえ思える歌詞のミスマッチに不思議な感覚をおぼえたからである。

―遠くにいるボーイフレンドからありったけの言葉が今日綴られてくるはず。お願いです。郵便屋さん、察してほしい、手紙ありません? わたし宛の手紙ひとつ。ここでねばって、郵便屋さんを待って、ずっと立ちっぱなしなんです(拙訳・度々拙くてすみません)―

 お馬鹿なわたしでも、なんとか意味が通る程度には伝わっているようだ。感性なので、細部の勝手な意訳はご勘弁願いたい(単語とニュアンスは足していないので、残念で不出来な訳でも忠実な訳ではある。つまり出来の悪い逐語訳である)。私ごとき、その程度の訳語能力、おつむと悟って残念に思ってほしい(笑)。

 ちなみにわたしが高校の軽音に入部の際に弾いたのは、『イエスタデー』。アコースティック・ギター一本で弾いた。入部できたので一応合格ラインだったのだろう(笑)。
 この曲は奏法として、通の間でマッカートニーの有名なエピソードがある。通常わたしは親指でベース音となる五六弦を弾き、残りの和音を人差し指、中指、薬指で同時に鳴らす。したがって完全なアルペジオではない。なにがエピソードかというと、マッカートニーはこの和音を三本の指を使わずに、人差し指、ないし時に中指を加えた一二本で、下に払うように爪の甲を使って、いっぺんにはじくのである。不思議な弾きかただが、何遍見ても真似出来なかった。すぐに諦めた。結果的に弾ければ、手段や経過はどんなものでも良いのだと割り切った。ついでに言うと、マッカートニーはバレーコード(代表的なのはFのコードかな)も人差し指一本ではなく、親指と人差し指の輪っかで押さえる。『ブラックバード』や『アイ・ウィル』の演奏でそれは確認できる。まあ、これはたまに他のアーティストにもいるので、独特というほどではないが。
 最近は、大人の趣味として楽器が売れているという。レンタルも含めてなのだが。かつては楽器というと、若者の特権のように思われていたが、わたしよりも年上、それもかなりのご年配の方がエレキギターやコントラバスをケースで担いでいたり(もちろんキャリア付きで転がしていますけど)、フォークギターを背負っていたりする。それもすごい人数をお見かけする。そしていい音を求めた、聴くだけの人たちも増えた。高音質な密閉型のヘッドフォンで、町中を歩いているのを目にする機会がとても多くなった。
 楽器に関しては、オケの団員やプロのミュージシャンでもない人が、昔を思い出して、あるいは昔出来なかった無念(?)を晴らすために、やっているかな? なんて勝手に思っている。実際、制約を受けずに楽しみながら、音楽を奏でるのも個人の自由だし、指を頻繁に動かすため、お年寄りにはほどよい脳の活性化になると言われている。生涯学習の課題として、楽器演奏をなさる方も多い。
 そう考えれば、『プリーズ・ミスター・ポストマン』がリバイバルヒットするのも分かるような気もする(これ自分勝手な結論、合点です)。もちろん楽器メーカーさんの努力もあるのだろう。ただそれにも増して、潜在的に音楽を楽しみたいという純粋な気持ちの人たちが、手軽に音楽と向き合える時代が来たと考えるのも悪くないと思った。

次回は横浜山手で花を写すつもりだ。


おなじみのヘフナー・ヴァイオリンベースを演奏するマッカートニー
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(画像はちゃんと持ち込み検査も受けて、許可をいただいたカメラで撮ったもの。しかも個人の趣味のブログなので、アップOKとアナウンスに見合っているため、ルールに従いアップしました)
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53 遊べる趣味の文学ざんまい [リベラルアーツっぽい話]

 考えてみるとこのブログは、音楽や美術(写真も含め)の鑑賞のことが結構比重を占めていたように思う。タイトルも改変したので、ひとつ文学部出身ということもあり(実はあんまり関係ないのだが・笑)、文学の手短で、ゆるい鑑賞法を一緒に共有したいと思う。この見解はあくまで楽しむための手法である。
 学生時代「文学概論」という授業があり、文学部の学生は全員必修で、この授業もとてもお気に入りの授業だった。わたしの学年は英文学の先生が担当なさっていた。この授業で習った文学タームを元に、やはり図書館にこもって用語調べをしていた。楽しみだった。時間が無いときは、古書店でそのままその本を買って自宅読みをしたこともある。
 また小説の作られかたや文学入門の概説書などでも書かれているオーソドックスな内容なので、知っていても損はないと思う。
 例えば、文学、特に近代文学の小説の構造は、タームで言うと、「テーマ」、「プロット」、「バックグランド」、「キャラクター」などが主な要素になる。もう日本語になっている用語なので、そのまま並べると順に、「主題」、「筋立て」、「背景」、「登場人物」である。
 このうち文学がなぜ絵画や音楽と同じ芸術なのかというと、「主題」を持つ創造作品だからである。これは写真や映画にも言えることだ。同じ主題を持つ作品でも、論文や報道レポートなどは、学術考察、ノンフィクションなのでおおよその場合、芸術や文芸とは言わない。ただしもちろん例外はどこにでもある。
「主題」で一番わかりやすいのは、タイトルが主題の作品になっているもの。例えば、武者小路実篤の『友情』である。そのままテーマは友情だ。友人関係と恋愛の狭間で悩む主人公の葛藤が美しい話だ。興味のある方は一度お読みいただきたい。結構短い作品なので、三日坊主にならずに読み終えて、しかも高尚な作品なので知人に自慢できる(別に無理に自慢する必要は無い・笑)。
 また社会派の文学の基礎のような作品テーマも、実はシェークスピアの時代には出来ている(正確には後の時代にそう評価された)。借金の担保として、胸の肉一片を渡すというお話は何処かで聞いたことがあるのではないだろうか? この物語の面白いところは「血を一滴も流さずに」という禁じ手を加えたことにより、決まり事を出し抜いたという「まんまとしてやった」というオチである。故にこれはもともと喜劇の部類に入っていたのだが、近代の評価では法の解釈の有用性が強調され社会派的な扱いを受ける作品になっているということだ。
 似たような社会派作品だと森鴎外の『高瀬舟』なども安楽死の問題と絡んで、位置づけがなされている。とくに鴎外の場合はもともとが医師なので、その辺りの法的な基準をテーマにしやすかったのだろう。
 プロットのおもしろさというのであれば、演劇作品の際立ちが大きい。『ピグマリオン』というより、映画『マイフェアレディ』といったほうがわかりやすい。なので映画の内容を思い出しながら書いてみよう。
 ロンドンの下町なまりの花売りの少女が、上流階級の言葉と身だしなみを与えられて、ステキなレディへと変身していくさまを描いている。オームがえし言葉で逃げ切った競馬場の場面では、思わず笑ってしまった方も多いのではないだろうか? 主人公のイライザが、品位と知性を身につけていくと、偉く見えた言語学者の先生が、実は利己的で自分勝手と言うことが見えてしまう。でも愛しくもある。複雑な展開がある。
 一方のイライザの父親もたかり癖のある貧乏なその日暮らしから一転、億万長者になってお金が貯まりすぎていらいらするなど、コミカルな筋立てで物語が流れていく。この作品のテーマを吟味した所見は、階級社会であるイギリス社会での、上流階級への風刺とも言われている。
 イライザに恋する青年、フレディ役は、ジェレミー・ブレッド。このブログでもご紹介したグラナダテレビの人気シリーズ『シャーロックホームズの冒険』でホームズを熱演した俳優さんである。
 ちなみに映画のタイトル、『マイフェアレデイ』は一説に、高級ショッピング街のロンドン「メイフェア街」を下町なまりにすると「マイフェア街」と聞こえるからと言う意見を聞いたことがある(請け売りでいうと、子音Yの前のAは{ei}と読まずに{ai}と読むため、メイがマイに聞こえる。日曜日のサンデーがサンダイなるのと同じ理屈だ)。そんなセレブ御用達の街にふさわしいレディになるさまを描いているプロット仕立ての物語なので、タイトルを入れ替えたとも。『ピグマリオン』 もギリシア的というか、文学的で良いタイトルなのだけれどな。
 このように筋立ての思わぬ展開が読者や鑑賞者をどきどきさせたり、共感して感情を入れ込んだりする役割になる。そこに高尚なテーマや普遍的なテーマが入ることで、一気に芸術性が増すというのが、この手の文学のありがたみなのである。
 ついでなので、古典文学の場合はどんな分類方法があるかというのも軽く触れて終わりにしたい。現代のものではなく、昔の文学は鑑賞と言うよりも、分類で歴史的価値や文化の流布、移動を読み解く鍵になる。その役割のほうが現在は重要に感じる側面もある。もちろん教訓オチの多い古典や昔話の類では、バックグランドから現代の私たちと同じ心情などをくみ取ることも大切である。ただ文化全体の流れの中で、口承に近い形で人から人へと語り継がれて、時代や地域を渡り歩いたプロセスが、まるで悠久の時を経て完成した伝言ゲームのようで、文化圏のパーティションを教えてくれるのも興味深い一面とも言える。即ち換言すると、ある意味では歴史研究の補助学問に相当するという場合があるようだ。とりわけここでは、浅学の私ごときがご案内できるごく一般的な、どの国の文学作品にも通底して、適応できる分類方法を取り上げる。
 一例として、某譚という分類をするやり方を見てみよう。昔話や神話の類をエピソードの似ているものでカテゴライズする方法だ。これだと世界中に類似性のあるプロットや展開が散らばっているので分類しやすい。近隣諸国の場合だと(特に地続きの欧州など)、どこからかの影響を受けているという調査やルーツの研究もしやすいそうだ。
 挙げていこう。長者没落譚なら代表的なのは『山椒大夫(安寿と厨子王)』、英雄譚は各地に散らばっているので特に沢山の例はいらない。有名どころでは『アーサー王伝説』などかな。名剣を真鍮(岩だったかな?)の塊から引き抜く辺り、こどもの出来る技ではない。やはり英雄は違うのだ。異類婚姻譚なら『鶴の恩返し』や日本神話の「ニニギノミコトとコノハナノサクヤヒメの話」、「三輪山の神さまの話」など、貴種流離譚なら日本神話「大国主命の話」や『オデュッセイア』、動物報恩譚は再度『鶴の恩返し』や『浦島太郎』等もこれに当たる。他にも沢山の分類する某譚はあるのだが、ゆるい話の本稿はこんなもので良いと思う。後は気になった人はご自分で、他にどんな分類があるのか調べてみるといい。これ以上深く掘り下げるとわたしは熱中してしまうのでやめておく。
 これ以外にも他の方法で、神話の分類には、「バナナ型神話」分類もあり、このサンプルは世界中にあるという。スコットランドの偉い学者が名付けた分類方法である。不死と短命の分類方法らしい。これもまた興味のある人は調べてみるといい。もしこの時代、この物語の主人公になったとして、あなたはイワナガヒメとコノハナノサクヤヒメの両方を娶れるかという問いに、選択肢によってあなたの運命が決まるというお話である。興味のある方は日本神話を読んでみよう。永遠の命と限りある命。「なんか、小学校時代少年誌に連載されていたSLが宇宙を走るマンガにも、そんなテーマがあったなあ」と思い出してしまう。感慨深い。
 久々に文学、深いなあと思った。一応学費分以上の勉強はしたんじゃないかと自負している(笑)。これも自分で思っているだけだが。
 生涯学習は、教養を楽しく身につけることから始めるのがいい。そんなお役にたてば嬉しいのだが。
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52 オーディオシステムの昔話 [世間話 イベント]

 レコードがCDに切り替わる頃、オーディオメーカーさんのオーディオアドバイザーというアルバイトを七年ほどしていたことがある(要は学生時代全部だ)。土日はこのアルバイト、平日は別のバイト。いろいろな意味で、元気だったなあと今考えると思う。
 それ以前、高校は軽音楽の部長(肩書きだけでなにもやっていないのだが)をやっていたので、そこそこ音楽に興味のある人間だったと思う。わたしのいた軽音は名前だけの軽音ではなく、ちゃんと軽音楽やっていた。だからアコースティック・ギターやヴァイオリンベースが馴染んでる。先輩にはバンジョーの達人っぽい人もいた。わたしに関しては、もう最近指の動きも鈍いので、たまに楽器のためにいじってあげるのがイイカナという程度で、お手入れがてら楽しんでいる。もっぱら聴くほうが多い。
 話を戻そう。その当時の単品コンポやミニコンポでは、ちょうどDAコンバーターという変換回路をどこに積むかという変化が起きていた。要はCDに刻まれているゼロイチ信号をアナログ信号、つまり音に近い記録信号に変換するのを、CDプレーヤー内ではなく、アンプで変換するといい音になるという理屈である。ちなみにわたしは理系ではないので、販売や趣味、解説の上での理屈しか知らない。その辺は考慮願いたい。入門編といったところのお話としておさめていただければ幸いだ。
 そこで出てきたのが光伝送という方式だ。それまでの赤と白のピンジャックケーブルでアンプとCDプレーヤーを繋ぐのではなくで、ゼロイチ信号のまま、光ケーブルでアンプに送って、そこでアナログ変換と音変換するという方法だった。だから光伝送だ。当時この方式のミニコンポのテレビCMに使われたのは、ショパンの『幻想即興曲』だった。光という言葉が新しかった。理屈としては電気抵抗や転送劣化を防ぎ、ピュアな音を再現できるというものだった。
 スピーカーについても、スリーウェイが主流になりつつある時代だった(ジャズやアコースティックと室内音楽などを主に聴く、わたし個人はツーウェイ派だったんですけど・笑)。スリーウェイというのは、スピーカーの箱に丸いコーンが三つあるタイプで、上からツイーター、ミッドレンジコーン(ミッドスコーカーとも)、ウーハーとなる。光は可視光といい、人間に感じる明度があるが、音にもあって高音波、高周波の領域では耳に聞こえないものがあるが、振動と波長が降りてくると高音の「音」になる。その領域がツイーターの復元領域。この辺りの音は音の波が小幅なので数メートルで届かなくなる。ハープの高音域やトライアングル、ハンドベルの高音域など、頻繁に出されるとキンキンして不快だが、適度に入ると涼しげで澄んだ音を奏でてくれる。
 人間の声、おおよその主旋律を弾く楽器、とりわけ金管楽器や木管楽器、ピアノなどの中音域を拾うのが真ん中のミッドレンジと一番大きなコーンのウーハーである。ヴォーカルをミッドコーン、音の広がりをウーハーが担当しているというメーカーさんのものもあった。この音域がしっかりしていると、ヴォーカルのブレス音はもちろんのこと、ジャズドラムのハケのスクラッチ音が渋く響く。結構個人的にはこれがたまらない。そして同じくこの音域がきちんと再生されていて録音原盤がクリアだと、ピアノの八十八鍵盤のうちの高音スケール、低音スケール、両端の鍵盤からでたピアノ線の音色の他に、鍵盤自身のカタンという木のプッシュ音まで再生されているのも聴かせてもらったことがある。一般の家では無理だが、フェアやイベントなどに立ち寄ってみるといい。臨場感満点の感動ものだ。
 そして低音から超低音である振動と音の境目までを再生してくれるのがウーハーということになる。ウーハーのコーンの大きさが何センチとか何インチとかとこだわりのある人は、この振動すれすれの音を再現してくれるのを楽しみにしているからだ。コントラバス、ウッドベース、ティンパニーの音の再生はここにかかっている。お腹に響く音だ。ただしこれ半分は振動なので、建物や構造物を共振して、隣の部屋などに伝わってしまう。離れたところでもカラオケなどのベースの音だけが伝わって聞こえるのはそのためだ。都市部の家で大音量で聴きたい場合、防音設備のある部屋でないと、大インチのウーハーを持つスピーカーシステムは設置できないというわけだ。それを電気的に聞こえやすく振動を音に近づけたのがスーパーウーハーシステムである。電気的なので違和感が多少あるが、いままで聴くことができなかった楽器や音の再生がかなったという部分で、当時としてはすごかった。こういうのをダイナミックレンジ(音周波数の幅)が広がったという。
 ちなみにスピーカーは何で四角の木の箱かというと、答えはアコースティックギターと一緒である。裏面に必ずエアダクトを兼ねたサウンドホールがある(なければ何処かに必ず穴らしきものがあるはずです)。共振しやすい素材の木製で、共振した振動を外に逃がす役割を担っている。ピアノの天板が開く構造も一部は同じ理屈で、中で音が反響しないようにするためである。大きな意味ではスピーカーは、構造面から見たなら楽器の仲間ともいえるかもしれない。
 周りが固い素材の室内では高音が吸収されないので、窓を開けたりカーテンなどを全体に張り巡らせている小規模な演奏会場などもよく見た。高音は反響しやすく、返しの多いだぼついたぐずぐずの音になりやすいそうだ(洞窟やトンネルの中、お風呂場などを思い出そう)。柔らかい素材は振動を吸収してしまうので、高音は布やスチロール材などの壁にすると跳ね返らないらしい(ラジオ局や学校の放送室の壁を思いだそう)。低音は既述の通り壁全体で受け止めて共振するので、その場のオーディエンスの耳には残らない。壁を伝ってどっかに行ってしまう。
「音の抜けがイイ」というのもこのことだ。ただし、いまは随分と変わったようで、ここ最近は調音ボードや調音パネルの性能が良いらしく、専門家がやれば、難なく手短に、そこそこ環境設定は出来ると言うことだ。とりわけオーディオの再生は、本当の専門家がやると素晴らしいものになる。感動的なセッティングをイベント会場で、数回ほどお見受けしたことがある。
 他にもアンプの出力ワット数と音の関係、真空管アンプの柔らかさや、今はほとんどみないカセットテープのアジマス調整、メタルテープを使ってのノイズの消去録音など、当時のオーディオファンにとって、きっと興味は尽きなかったのだろう。
 記録媒体はオープンリールから8トラック、カセットテープ、そしてDATやMDからCD-R。さらにはMP3再生など、媒体を使わない録音まで登場して、わたしはもう浦島太郎状態に近い(笑)。わたしはカセットテープからの世代だ。幼少期にその前の8トラやオープンリールは存在を覚えているが、扱ったことはほとんど無い。
 でも音楽が人の心を癒やしてくれるのは、いつの世も変わっていないと感じることができるのは嬉しいことだ。七年もやっていたのでもっと話題はあるかなと思っていたが、意外に残っていない。忘れん坊の称号をいただけるほど、忘却力だけは負けない(威張れることでもない・笑)。知識のおつりで書けることはこんなものである。おそらくこの話題のシリーズ化は無理かも知れない。(筆者ポンコツのため)
 最後にもう一度お断りしておくが、わたしは技術者ではないので、大ざっぱな見解であり、精密、厳密な理屈をここで掲げてはいない。入門や初心者向けのわかりやすい案内をしたまでだ。しかも二十年も前のオーディオ機器の話なので、思い出話として受け取っていただけるとありがたい。実際わたし自身も、今は単品コンポを使ってはいない。ミニコンポである。そして性能のいいベッドフォンが今は出回っているので、大きな音での再生、再現をしたいときはそれに限る。それがシエスタのお伴である。
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51 ちょっとだけliberal artsっぽい話-パリ回想- [リベラルアーツっぽい話]

「photo message board」 としての最終回である。そして「I'll follow the sun-liberal artsっぽい話」という表題でブログの更新をしていく初回でもある。どちらに載せても大丈夫な内容にしている。
 今回の新装した理由。これまでわたしの生涯学習の成果発表を写真展として行ってきたが、今後の主軸はブログになるためである。割合の問題でこちらに比重がおかれる。もちろん写真展もやめるわけではないが、手軽に、身近に発表や閲覧可能なブログにシフトすることが、今のわたしにとってはベストだからだ。
 もうひとつはこのタイトルでは収まらない時代になったからである。ボーダーレス時代と言われてからも久しいが、このブログも様々な分野に跨がっている。それらの中心、主題にあるのが、文字通りliberal arts 、つまり「芸術・文芸」の内容と言うわけだ(高等教育機関の一般教養科目もliberal artsというが、もともとの派生は教養という意味で文芸を意味するところから来ている。ヨーロッパ人にはもともとたしなみの一部で、今も適応しているかはさておき、昔から成人していると知っていなくてはいけない知識なのである。common senseとはまた違った一般常識というのかな?)。
 前々回のイギリスの話に続いて、今回はフランス、パリ。イギリスやったら、フランスもやらないとと勝手に思っている。学部時代に「フランス文学史」の先生がいい話をたくさんしてくれたので行ってみたくなったのが理由だ。俗ラテン語の話やジッドの話。読んでみると『田園交響曲』は心にくるものがあった。どことなく田山花袋の『蒲団』にも似ていたイメージを持った。他にルソーやモンテスキューの話。実は実証史学のもとになったひとつは、意外にも『法の精神』なのである。門外漢の研究書が別の分野で役に立つ好例である。
 初めてパリのカフェで「オレンジジュース」を注文したとき、親切なパリの学生さんが(自分も学生だったけど)、片言の英語で「座るとお金がかかる」というニュアンスのアドバイスをくれた。こっちもおぼつかない英語で会話したのを覚えている。その時飲んだのが「オランジーナ」。まさか、日本でも飲めるようになるとは思いもしなかった。あちらでは当時瓶が主流で、まるで水時計や砂時計を起こすように、瓶を逆さまにして沈殿物を混ぜ合わせてから栓を抜いていたのを覚えている。
 目的地は、オルセー美術館。絶対にオルセーだった。勿論ルーブルだって外せない。モナリザなどルネサンス、バロックの絵画も気になるが、やはりモネだった。印象派、そしてその中心のモネ、というのが、その当時のわたしの絵画のこだわりである。
 メトロの中でびっくりしたのは、突然、コントラバスとアコーディオン、フィドルをもった三人が乗り込んできて、ジャズやシャンソンを奏で始める。乗換駅に来ると、向かいのメトロに乗り換えて、また演奏をしていた。日本では見たことのない光景に驚かされた。これをカルチャーショックというのかも知れない。
 そんな珍道中を経験しながらたどり着いたオルセー。廃止駅舎を利用した美術館だ。駅の構造物である天井の高いドーム駅舎の中に、スタンドや台座のように二階部分が増築されていた。時計台を背に、広い階段を登って印象派絵画の待つ展示室に行った。ドームの辺りはガラス張りで、温室のように開放的で明るかった。残念ながら二十年以上前なので、絵の配置までは覚えていないが、漸く本物に会えた喜びと感激は今も胸に残っている。
 クシェットという寝台車で車中泊をしながら北駅に着き、サン・ラザールという駅(だったかと思う)からカレーを目指した。その間の途中滞在で二三日だったが、朝の駅構内のカフェでクロワッサンとコーヒーで気分を出した(コンチネンタル・ブレックファースト)。モンマルトルで、遠目に風車のネオンサインを見たり(昼間なので電気はついていなかった)、シテ島を散策したりと良い思い出を作った。どこに行っても散歩をしているわたしだ。気分は印象派。少々お馬鹿な旅行者? ただ目的地はとにかくルーブルとオルセーだった。あとはパリ市の歴史博物館なども見て回った。
 今回、単なる紀行文、思い出話にしたのは、ルーブルやオルセーの話を詳細にしてしまうと、別に美術館のブログをやっているので、それとかち合ってしまうためである。でも街角からシャンソンが聞こえるって、気分をかき立ててくれる。風景というのは目だけでなく、音の臨場感でも感じることが出来ると教えてくれたのもヨーロッパの空気たっだ。その時からアコーディオンがおしゃれに聞こえた。スイングスローでコシミハルさんが弾くアコーディオンが、なぜかそのときパリで聴いた音楽を思い出させてくれる。

画像は①エッフェル塔②ルーブル美術館③オルセー美術館。ロンドンに続きフィルムおこしなので画像劣化はご勘弁いただきたい。

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50 横浜山手の楽しみ方-生涯学習としての考察から- [リベラルアーツっぽい話]

 ついに50回である。初心回帰で生涯学習に関する記事をお届けしよう。
 横浜の楽しみ方はいくつもあるのだが、わたしは花めぐりを主な楽しみにしている。このブログでもシリーズにして、一部横浜の花めぐりをご紹介している。それはいつもの更新でご紹介しているので、今回は違った楽しみ方を二つご紹介したい。
 ひとつは古地図ファンや建築ファンの休日散歩に最適なお話である。かつてブラフと呼ばれた「崖の上」は、外国人居留地として、生活物資購入の拠点元町をお膝元に抱えた静かな住宅地と緑の多い地域だったようだ。所々には欧米の軍隊の駐屯地や病院なども点在して、文明開化の最先端であった横浜の代表的な地域のひとつだったのだろう。
 現在でも山手の洋館や資料館などには、当時の地図などが所蔵されているので、現在の地形と比べてみるのも興味深いものだ。大正時代、関東大震災以前の地図には、山下公園の姿はない。
 洋館の建築や間取りについて、また洋館そのものに興味のある人は『洋館さんぽeast』という書籍をご紹介しておく。古建築の分野に入りつつある明治や大正の洋館の数々をふんだんに写真と資料で紹介してくれる優れものだ。おなじみの横浜西洋館は案内、解説文の他に、各館の見取り図や散歩のための周辺地図なども載っている便利なものだ。
 すこし外れるが、学生時代大好きで何度も訪れた鎌倉文学館もこの本には載っている。バルコニーから自販機のカップジュースを飲みながら、相模湾を眺めるのが大好きだった。お気に入りの場所のひとつである。
 話を戻して、わたし自身も二度ほどこの横浜山手の西洋館のギャラリーをお借りして写真展をやったことがある。その様子は、このブログの第一回「01写真ギャラリーめぐりー序」や「11 写真ギャラリーめぐり-社会教育施設のギャラリー」に掲出した画像を見ていただくと分かる。いい会場である。そんな楽しみ方もいいのではないだろうか。

 さてもうひとつは、山手にある西洋館の様々なイベントである。今回はたまたま別件でイベントの視察をしたので、その時のメモを再利用しながら楽しみ方を探ってみたい。
 今回のような視察やこのブログの活動などは、生涯学習インストラクターのテキストで言うところの「学習に関する情報を提供する活動」にあたる。前回触れた花と緑のイベントでは華道という日本の伝統的なお稽古事やフラワーアレンジメントなどの芸術とテーブルウェアのコラボだった。同様に今回はこの西洋館各館が主催する「サマーコンサート」について触れてみたい。
 七月から八月にかけて、各館で開催される音楽の祭典はジャンルにとらわれない斬新な企画だ。単に演奏だけでなく蓄音機の再現や野外演奏なども行われており、音楽好きはいちどは立ち寄りたいイベントである。
 既述のように、折角書き手のわたしが鑑賞してきたので、その中の二三をご紹介しておこう。例のごとく、お名前をどうしようかな? と思ったのだが、コンサートの日程と開催館を照らし合わせればすぐに分かるので、今回も読者に委ねることにした。
 今回はわたしの時間が空いた日がたまたまみんなピアニストさんだった。ピアニストと一口にいっても多種多様な取り組みをしておられる。それぞれが個性的でみな良い持ち味を活かしたピアニストさんたちだった。

七月十五日 べーリックホール(元町公園の横にある大きな茶色の洋館・もと寄宿舎・ちなみにここの音響環境は西洋館の中では抜群であるとわたしは思っている。こことイギリス館はおすすめである)
 黒のシックなドレスで、連弾のお二人が登場したときは、どんな演目をお持ちなのかと興味津々だった。親子連弾しかイメージ出来ないわたしにとって、演奏者の連弾という初めての体験はいささか想像できないものだった。
 弾き始めてみると安定感のあるピアノである。リズムも正確でわたしが知っている楽曲は、正確にそのままのレコードやCD通りのステキな響きだった。またピアノソロと違って、音の厚みが出て、響きがひと味違っている。今まで聴いたことのない音の厚みと響きが、楽しみを倍増させた。
 演奏者の語りは少なく、寡黙な二人だったが、ひとたび鍵盤からものを奏でれば、静謐を押しやり、それが全てメッセージのように聞こえたのもこの演奏者の特徴だった。ピアノのプレイ自体は安定感のある安心して聴ける演奏者であった。
セットリストの概要
三つの古いウィーンの舞曲(愛の喜び・愛の悲しみ・美しきロスマリン)・ リベルタンゴ・想いの届く日・オブリヴィオン・アレグロタンガービレ・アレグロブリリアンテ・ラヴァルス(演奏プログラムのレジュメより)

七月二十九日 外交官の家(渋谷区より移築された日本人が住んでいた洋館。イタリア山庭園にある)
 この演奏者が素晴らしいと感じたのは、ステージ構成上でだが、オーディエンスたちを一緒の舞台に連れて行くという演出である。「次は皆さんが主役です」といって、唱歌などの伴奏に徹して、オーディエンスを参加者の一部にしてしまう試みは楽しさを膨らませた。そういえば開演前、会場の人たちも常連さんが多いのか、歌を歌うのを楽しみに歌詞カードを眺めながら演奏者の登場を待っていた。「この歌知っている?」「知らない」などの会話も飛び交う開演前の一コマだった。
 タッチに特徴のある演奏者なんだと思った。柔らかく、しなやかな、一音一音大切に奏でる演奏者は好印象に感じた。全体的な所感としては、聞き手を大切にして、一体感のある空間を作る優しいステージだったと思う。
 一曲目の戦前のサロンダンスや舞踏会などの時代を思い起こさせる楽曲は歴史文学ファンであるわたしにはたまらない選曲であった。穏やかで華麗な演奏は聴く人に優しさを与えていた。
セットリストの概要
シュトラウスレハールメドレー・あの夏へ{千と千尋の神隠し}・さよならの夏{コクリコ坂から}より・叙情歌メドレー{夏の思い出・我は海の子・少年時代・故郷}・ファンタジーワールド・海の声・万華鏡・ホープアンドレガシー ・サマー「菊次郎の夏」より・蛍「永遠の0」より(演奏プログラムのレジュメより)

八月六日 エリスマン邸(元町公園の一角にあるみどりいろの洋館)
 気軽にクラッシック音楽を知りたいけど、勉強してまではという人におすすめである。クラッシック音楽の作曲家や演奏家の話題を沢山含んでいる説明もあるステージ。暗譜もしっかりとこなし(クラッシックの場合はここ大切なようですね)、力強さから、軽やかさや柔らかさまで音にこだわった演奏をなさる方である。
 運指などの専門的な難しいことは分からないが、楽器好きのわたしは、楽器や音の調整や扱い方を見て、演奏者が楽器を大切にしていることくらいなら、すこしだけ分かる。わたし自身が楽器を大切に扱うからだ。
 リストを奏でる方は少ない。正確には、弾くことは出来るが、ステージの演目に入れてくれるという人がそう多くないのだ。クラッシック音楽に少しでも興味のある方ならおわかりだろうが、リストは「ピアノの魔術師」と称されるように難度の高い曲を多く書いた。その分美しい調べが多い。ショパンと比べられる理由のひとつもその辺りにありそうだ。それを生演奏で聴けるというのは(しかも無料で)、ありがたいことである。
 演奏者は、敷居を下げてくれながらも、知っておきたい正統派のクラッシック楽曲を耳にすることが出来る貴重なステージを体験させてくれた。
セットリストの概要
ラ・カンパネラ・ベルガマスク組曲プレリュード・ベルガマスク組曲月の光・ラ・カンパネラ(再演奏)(演奏プログラムのリーフレットより)

 以上今後もサマーコンサートは開かれるので是非HP等で確認の上、足を運ばれてはいかがだろう。これからもジャズを含むいろいろなコンサートが目白押しである。またサマーコンサート以外にも、単発のコンサートなども開かれており、有償無償を問わず気になるものがあればぜひ鑑賞されることをおすすめする。わたし自身もなにかのご縁があれば、今回拝聴した演奏者の人たちの演奏をまた西洋館の何処かでお聴きできるかも知れない。ヴォランティアで演奏して下さっている皆さんに幸あれ。
 今回は山手の楽しみ方と題して西洋館の展示やイベント、主にコンサートの様子についてのお知らせをさせていただいた。坂を登るのは苦労だが、坂の上には楽しみがある(でもバスやエスカレータもあるので、すいすいいくことも出来ます・笑)。




 さて予告したとおり、次回をもって一旦このブログ(Photo message board)は新装準備に入ります。わたしのやる気がなくなっていなければ、新しい壁紙やタイトルでの再スタートとなります。では次回最終回を乞うご期待! (期待持たせて普通におわるかも? 笑)




写真は①べーリックホール②外交官の家③エリスマン邸である。

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49 歴史とお酒と芸術と(少し真面目なお話4) [少し真面目なお話]

  今回は「少し真面目なお話」という共通タイトルを用いたが、どちらかと言えば、ためになるお話に近いかも知れない。
 イギリスの歴史を王権的に大ざっぱにまとめると、意見も様々あることだろうが、わたしは自分の覚えやすい方法として、①ローマ支配(ハドリアヌスの長城の頃) ②六世紀ごろからのヘプタ―キー時代(アングロサクソン七王国) ③十世紀前後のデーン王朝 ④十一世紀以後のノルマン朝統一国家としてのイングランド成立(1066ー1154) ⑤その後の六王朝と考えている。六王朝とはプランタジネット朝(1154ー1399)・ランカスター朝(1399ー1461)・ヨーク朝(1461ー85)・テューダー朝(1485ー1603)・ステュアート朝(1603・英(1371・蘇)ー1714)・ハノーバー朝(1714ー現)である。そしてハノーバー朝をハノーバー朝・サクスゴバーグ朝・ウィンザー朝の三家に分ける人もいる。もうひとつ重要年号は1707年ステュアート朝時代に、スコットランド(蘇)、北アイルランドとの連合により、以降、グレートブリテン連合王国と称したこと。
 いつもは文化・美術様式論の時代区分を使うので久々の王朝での時代区分だ。たまに見直すと新鮮だ。英国史は王朝史が通史で成立するので、すっきりして気持ちいい。立憲君主国ならではの様相だ。この辺は学生時代、英国史の先生が好きだったのもあり、図書館などで、山川出版社の通史、何冊も借りて読んでいた(時を経て随分知識は抜け落ちているけど・笑)。
 ついでに付加事項として、面白いことに、有名な王家の最後は有名な女王で締めくくられることも多い。テューダー朝の最後はエリザベス一世、スチュアート朝の最後はアン女王、三分割したうちのハノーヴァー朝ではヴィクトリア女王なのである。
 なにも今回はこんな歴史の勉強をしたいわけではなく、もっと気楽なお話、パブについて語ろうと思っている。「じゃあ、はやく本題に入りなさいよ」と言われそうだが、基本が大事(笑)。ついでに自分の記憶確認、見直しも含めて(笑)。
 イギリスのタウン(町)の成立条件。ここでいう町とは有名なバラーのことではない。歴史の教科書では五城市と訳されるファイブバラーに代表される城塞都市のバラーを思い浮かべがちだが、それよりも後のもっと小さな集落単位の話で話を進める。したがってタウンでいいのである。
 それは三つの公的な建造物があって初めて町としての認識がされるとおっしゃる人もいる。教会と小学校とパブという三要素だ(これあくまで民間認識らしい)。大陸ヨーロッパ(一般にコンチネンタルなんていいます)では、教会を中心に集落は整うと世界史の中でも教わってきたはずである。ところが島国イギリスはそこに二つのおまけが付いているようだ。
 そもそもパブって居酒屋でしょう? とおっしゃる人が多い。実際普通にそう訳されている。一般には一六六九年頃からパブは社会的に認められたとする見解。それまでは「エール・ハウス」、「タヴァーン」、「イン」、そして「ホスピス」という目的別の飲食や宿泊施設に分かれていた。
 少し説明を入れると、エールは今でもビールのことを指すのは知られている。イギリスのパブでエールというと、生ぬるい樽ビールを出してくれるパブが多かったという。冷やす文化がないのかもしれない(最近は冷えたのもあると聞く。ただ詳しくは知らないが、聞きかじりで言うと、エール(ale)自体はイギリス特有の上面発酵の常温酵母を用いる醸造過程である特性上、冷やすと味が変わってしまうのかも知れないとも考えられる。もちろん中世では冷蔵庫などないので常温だったろう)。そのビールを飲めるところ(ハウス)なのでエール・ハウスだ。
 タヴァーンは居酒屋料亭。インは日本でも結構有名だ。旅人のための宿泊可能な居酒屋である。最後ホスピスは巡礼接待宿である。辞書には「ホスピタル(医療施設)」の語源とも書いてある。
 ホスピスは大聖堂などの巡礼対象の教会がある町に多いようだ。宿坊などと訳されていることもある。四国のお遍路さんに宿を提供したあの文化に少し似ているという人もいる。
 これらの四要素が十七世紀頃から集められたのがパブ、つまりパブリックハウスだ。だから生い立ちは何にでも利用出来るコンビニエンスホールといっていい。地域の集会所を兼ねていたのでこの名がある。江戸時代に、集落の鎮守さまで集った寄り合いにも似ている。「パブリックハウス」なのに「居酒屋」、名称とその意義的役割が時間とともに分離してしまった恰好の例とも言える。
 つまり日常普通に、私たちの目にふれる訳語として新聞や本に出てくる日本語でいくと、「なんで居酒屋なのに、パブリックハウス(公共家屋)?」って思うのが普通だ。公共の施設なら、わたしの考察対象である生涯学習のギャラリーや図書館、音楽ホール、公民館などと同じになる。実は先に言うと、全部というわけではないのだが、結構重なる部分が多い。やはり大昔には、社会構造が分業化されていなかったので、こんな感じで兼業が多かったのだと思う。
 当時の出生届を受ける戸籍係は教会である。つまり現在の役場の仕事だ。小学校も教会の聖職者が先生を兼ねることもあったろう。そして地域の集会場としてのパブリックハウスがもともとの役割の一つだったらしい。だから教会の付属機関としての小学校とパブと考えても、その運用面から言えば、あながち外れというわけでもないわけだ。
 その教会の聖職者が、ここで飲食をしたり、説法をしたり、市井の歌を歌ったりもしたという。日本風に考えれば、ここでお直会をいただいたり、法事後の飲食をしたりって感じだろう。神聖な聖堂では出来ないことを、こちらの場所が代役を請け負ったと考えるのが妥当だ。
 また村や町の掟を作る小さな行政や立法、自治体の役割を話し合ったのもパブなのだ。お酒を飲みながら町内会や商店街的なノリで、自治組織の仕事をやっちゃう辺りが昔話の世界だなと思う。
 そしてこれらのインやパブには、ごく小規模な学芸会レベルの座付きの劇団や楽団を持っているところもあった。つまり一部のパブでは、小規模なコンサートホールや演芸場の役割もしていたらしい。反復になるが、社会的分業が成り立つ前の時代なので何でもありの時代の話である。この辺りの楽団ことは、以前ブルーグラスのお話の時に、ちょっとだけ触れた。
 意匠(デザイン)を扱う分野としては、わたしはいつもブログでは、絵画の様式や作画思想で分類する美術様式論を出すのだが、コインのデザイン画とインの看板である紋章、そしてタペストリーなどの布地の織り目や編み目のデザインだけは、いわゆる今日で言う画家の絵画作品に当てはめるような美術様式としての様式論で当てはめることが出来ない絵なのである(わたしは内容を知らないが、別のタイプの様式論をもって研究している人はいらっしゃる)。
 要は系統学的な検証をしてサンプルの比較をするのである。それによって出所が分かるという気の遠くなる検証作業をするらしい(拍手)。例えとしては、田舎に行くと機織りやさんは、その集落でそれぞれの家系に代々伝わる独特の生地模様のサンプルをなん百年分も持っていたりする。その布の生地模様で服を作るので、分かる人が服の生地模様を見れば、どこの家の人かが分かるそうだ。また日本でも愛用者の多いフィッシャーマンズ・セーター(マン島付近の漁師が着ている)の鎖模様も、その網目模様を考古学資料などと照らし合わせた結果、その起源はケルト文化にたどり着くという人もいる。文様学という分野があるとすれば、そういう言い方もできるが、そんな調査方法があるのかどうかは知らない。
 さて前置きに随分かかったが、実は、パブの看板は王侯の似顔絵も多いのだが、紋章も多い(この辺りのことは森護さんの著書をあたるといい)。詳しいことは知らないが、イギリスには紋章院という紋章の登録をする役所が中世からずっと存在しているらしい。そしていまもあるらしい。日本人の私たちからすると家紋や印鑑登録の類かな? と思ってしまうのだが、当たらずと遠からずといったところだろうと個人的には思っている。そういえばわたしの好きなスコッチウイスキーのラベルも紋章が入っている。現王朝の紋章はライオンが三匹横に並んだ図案が印象的だ。
 現在のパブには勿論エールもあるし、フィッシュアンドチップスもあるし、マカロンもサンドウィッチだってある。ローストビーフをおいているのを見たこともある。スコッチウイスキーやワインも飲めるし、伝統的な紅茶(ブラックティー)だって飲める。
 スコッチウイスキーについて少し加筆すると、十八世紀の中盤以降できたもので、ワインより安くてオイシイと言うことでハイランドで広まっていったという。でもいまは結構なお値段するものも多い。泥炭で麦芽を乾燥させるときの薫臭、スモーキーフレーバーのモルト使用、楢の木材で作られたシェリー酒の酒樽での熟成により、味と香りが生成されるらしい。まあ十九世紀に市民権を得たお酒と言うことである。もし飲むときにはチェイサーを注文、傍らに置くこと事を忘れずに。結構強いお酒だ。
 いつぞやこのブログでも書いた『シャーロックホームズの冒険』の犯人捜しで、度々ホームズは村のパブで情報収集をしているシーンもあった。そう伝統的な社交場というのがこの施設の位置づけなのである。
 以上のように、パブは、中世から近世の十七世紀ごろに公認されて、十八から十九世紀には生活の中心になった施設なのである。諸説ある細かな部分は、素人ゆえに大目に見ていただきたい。まあ大ざっぱな流れは外してはいないと思うので。ただ、いつものごとく思うだけだ(笑)。そう高貴な方はサロン談義、一般民衆はパブ談義といったところだろう。
 近世から近代の英国文化。ナショナルトラストも、キャロルやバリー、ポターに代表される童話、推理小説ホームズの生きた舞台設定の時代、そしてパブが華やかに文化の中で中心的役割だった時代、これらが時代を象徴する文化の一部ということになる。
「少し真面目なお話」のシリーズの四編では、これらにまつわることを少しだけご紹介できた。不出来なわたしの案内なので、わかりにくいところもあったが、その辺はご愛敬ということで、ご勘弁願いたい。いずれこの四編の話の内容は、堅い文章に練り直して、資料との検証をしながら、紡ぎ直すつもりである。その時はリニューアルしたブログでお披露目でもしたい。わたしなりに、歴史と文学が織りなす世界が楽しくなればと思っている。いつになるかは未定である。♪『サムディ』である。歴史愛好家の暇つぶし文章に長々とお付き合い下さり感謝である。次回はお知らせを中心に横浜山手の楽しみ方をご案内しよう。今回は六月が忙しくて更新できなかった分、先月分も含めて三連続で更新した。
 最後に個人的なイギリスの思い出を二三挙げよう。もう随分前になる(おおよそ二十年も前だ)。まず青空の中でリバプールのライムストリート駅の高台に立った時の風景。爽快だった。リュック一つで歩き回った。いまでも鮮明に覚えている。次に地下鉄の駅から階段を上がった時に見えた大英博物館の建物も印象的だった(この時は曇りだった。まあロンドンはその方がロンドンらしいと皆が言う)。そしてもうひとつが当時ピカデリーサーカスの地下にあった日本語書籍の本屋さんのよこで売っていた日本と同じパック詰めのおいしいほかほかのお弁当(笑)、これらがわたしのイギリスの思い出である。最後のは、いらなかった……かな? (笑)



今回は約二十年前のロンドンとリバプールの写真である。フィルムおこしなのでラチチュードやかぶりの特性で少々アンニュイな画像にみえるが、これも時代ものであるのでご容赦願いたい。②のビッグベンは今この角度で撮ると後ろに観覧車が見えるようだ。

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48 私流よこはまの花便り13-夏の青空と西洋館めぐり- [私流よこはまの花便り]

 今回はタイトルからして、このブログにどストライクの記事である。植物園と横浜の公園を回るのがわたしのブログの使命のようになっているのも面白い(笑)。しかもわたしの好きな青空である。
 今回は写真関連なので昨今の事情で気になったことをひとつ挙げてみたい。かつて、わたしの過去のこのブログでも、よく当たり前のように旧大井町と旧下丸子などといって、カメラ業界を引っ張ってきたCN両社を挙げてきた。ところがぼちぼちその勢力図が、雑誌を見ると変化を始めている。全部の雑誌というわけでないのだが、CNSの三社を業界のリーダー的に扱うところが出てきた。言わずもがな、トリニトロンカラーでかつてのテレビ業界を引っ張ってきたソニーだ。もっというと、このブログ長屋の大家さんだ(笑)。この傾向はいずれ全ての雑誌や新聞で見るようになるのか要注目課題である。まあ、三位の座はフィルムの時代から前身のミノルタとペンタックスで争っていたのだが、完全にニコン、キャノンに食い込んだのだとしたら、ソニーのブランド力は本物だということなのかな? もともと映像に強い会社というのも功を奏している。いずれにせよ、今後が楽しみなカメラ業界である。
 さて話を戻そう。山手の尾根道、久々の夏の青空に出会えた。しかも夏の、どピーカンである(※ピーカンは露出アンダーの心配もなさそうな晴天のこと)。この天気で大口径レンズを絞った画なので、かりっとしたメリハリのあるさわやかな青空の作品となった。これがわたしの求める作品のコンディションである。お日さまと青空が風景を美しくしてくれるのだ。例外はヒマワリの写真で、これだけは開放気味f5.6である。詳しい人は背景のボケ具合や水色がかった空でも分かるかと思う。
 今回はなぜか大滝詠一『青空のように』を聴いて、口ずさみながら回らせてもらった。こんな日はのんきで、ほのぼのした優しい歌が良かったんだろう。三ツ矢サイダーがあれば完璧だ(笑・これ分かる人は結構な通である)。天然色の空とバラの花、そしてイギリス館、性懲りも無くまた撮ってしまった。しかも今回は平日だったおかげで、人も少ないので、自由にアングルを変え、魅力的なバラ園とイギリス館をおさめることが出来たと自負している。自己満足のショット多数アリ(笑)。
 蝉の鳴く中、アオスジアゲハの舞う中で、夏の青空の111番館もおさめた。ここはわたしが撮影していると、結構な頻度でウエディングドレスを着た新郎新婦(ドレスを着ているのは新婦だけ・笑)が撮影をしている。モデルさんの時もあれば、本当のカップルの時もある。今回はどちらだったかは知らないがまた出くわした。エルガーの『愛の挨拶』をBGMに「仲良きことは美しきことかな」ってな具合で、言葉を贈ろう(本物のカップルだったらだが)。武者小路実篤の言葉をお借りしてみた。
 その後岩崎ミュージアムのゲーテ座や十番館のレストラン、山手聖公会、べーリック・ホール、山手資料館なども夏の青空で写す。これらも青空とのマッチングが良い感じ。暑い日中ということを除けば、こちらの気分も最高である。木陰にある空の入りにくいエリスマン邸と234番館は木漏れ日のお姿。これはこれでイイかなと思う。ここにルノアールがいたら、『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』のような木漏れ日の作品が描けたかも知れない。
 その後山手公園に行ってみた。すると山手公園のテニス発祥記念館と旧68番館のテニスクラブ棟はお化粧直しで九月まで工事状態の中である。
「こんなこともあるさ」と気を取り直してイタリア山庭園へいく。外交官の家、十八番館を撮影して、さらに十八番館の庭先のヒマワリが気に入ったのでそれも撮ってみた。そんなわけで、今回は文章よりも写真いっぱいのブログと言うことにしよう。良いことだらけの今回の撮影だったが、ひとつだけ残念だったのは、一カ所足を蚊に食われてかゆかった事かな? (笑)
 最近セルバンテスのパロディーを読み終えた。日本語訳のちゃんとした作品は学生時代に読んだので、結構忘れているものだなと思った。文章で読むと結構シュールな作品だ。そんなわけでお馬鹿なじいさん騎士道家に興味を持ち、浸ってみた。今回のわたしなら愛機の一眼レフカメラがロシナンテか? だがドルシネアは見当たらなかった(笑)。……まあわたしは風車に突進はしないので、ドン・キホーテにはなれないな。そもそも風車と喧嘩しても勝ち目はない(笑)。
 ちなみにミュージカル『ラ・マンチャの男』は、このセルバンテスの『ドン・キホーテ』を舞台向けに仕上げたものである。この話、あくまで激安小売店の話ではなく文学の話である(笑)。
 では青空の横浜山手のお散歩画像、拙いものだがぜひご覧あれ。次の休日には家族揃って山手の西洋館に行ってみよう。……といい画が取れたので、ガラにもなくノリの良い勧誘文で締めてみる。ではまた。

①一重咲きのバラと青空
②ハイキーなバラ園とイギリス館
③イングリッシュガーデンの小路と青空のイギリス館
④バラ園の木陰とイギリス館
⑤バラと青空とイギリス館
⑥白バラと青空のイギリス館
⑦夏の青空と111番館
⑧夏の青空と岩崎ミュージアム
⑨夏の青空の郵便ポストと十番館レストラン
⑩夏の青空とバラ庭園と山手資料館
⑪夏の青空と山手聖公会
⑫木陰の中の234番館
⑬木陰の中のエリスマン邸
⑭夏の青空とべーリック・ホール
⑮夏の青空と外交官の家
⑯夏の青空とブラフ18番館
⑰青空とヒマワリ


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