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53 遊べる趣味の文学ざんまい [リベラルアーツっぽい話]

 考えてみるとこのブログは、音楽や美術(写真も含め)の鑑賞のことが結構比重を占めていたように思う。タイトルも改変したので、ひとつ文学部出身ということもあり(実はあんまり関係ないのだが・笑)、文学の手短で、ゆるい鑑賞法を一緒に共有したいと思う。この見解はあくまで楽しむための手法である。
 学生時代「文学概論」という授業があり、文学部の学生は全員必修で、この授業もとてもお気に入りの授業だった。わたしの学年は英文学の先生が担当なさっていた。この授業で習った文学タームを元に、やはり図書館にこもって用語調べをしていた。楽しみだった。時間が無いときは、古書店でそのままその本を買って自宅読みをしたこともある。
 また小説の作られかたや文学入門の概説書などでも書かれているオーソドックスな内容なので、知っていても損はないと思う。
 例えば、文学、特に近代文学の小説の構造は、タームで言うと、「テーマ」、「プロット」、「バックグランド」、「キャラクター」などが主な要素になる。もう日本語になっている用語なので、そのまま並べると順に、「主題」、「筋立て」、「背景」、「登場人物」である。
 このうち文学がなぜ絵画や音楽と同じ芸術なのかというと、「主題」を持つ創造作品だからである。これは写真や映画にも言えることだ。同じ主題を持つ作品でも、論文や報道レポートなどは、学術考察、ノンフィクションなのでおおよその場合、芸術や文芸とは言わない。ただしもちろん例外はどこにでもある。
「主題」で一番わかりやすいのは、タイトルが主題の作品になっているもの。例えば、武者小路実篤の『友情』である。そのままテーマは友情だ。友人関係と恋愛の狭間で悩む主人公の葛藤が美しい話だ。興味のある方は一度お読みいただきたい。結構短い作品なので、三日坊主にならずに読み終えて、しかも高尚な作品なので知人に自慢できる(別に無理に自慢する必要は無い・笑)。
 また社会派の文学の基礎のような作品テーマも、実はシェークスピアの時代には出来ている(正確には後の時代にそう評価された)。借金の担保として、胸の肉一片を渡すというお話は何処かで聞いたことがあるのではないだろうか? この物語の面白いところは「血を一滴も流さずに」という禁じ手を加えたことにより、決まり事を出し抜いたという「まんまとしてやった」というオチである。故にこれはもともと喜劇の部類に入っていたのだが、近代の評価では法の解釈の有用性が強調され社会派的な扱いを受ける作品になっているということだ。
 似たような社会派作品だと森鴎外の『高瀬舟』なども安楽死の問題と絡んで、位置づけがなされている。とくに鴎外の場合はもともとが医師なので、その辺りの法的な基準をテーマにしやすかったのだろう。
 プロットのおもしろさというのであれば、演劇作品の際立ちが大きい。『ピグマリオン』というより、映画『マイフェアレディ』といったほうがわかりやすい。なので映画の内容を思い出しながら書いてみよう。
 ロンドンの下町なまりの花売りの少女が、上流階級の言葉と身だしなみを与えられて、ステキなレディへと変身していくさまを描いている。オームがえし言葉で逃げ切った競馬場の場面では、思わず笑ってしまった方も多いのではないだろうか? 主人公のイライザが、品位と知性を身につけていくと、偉く見えた言語学者の先生が、実は利己的で自分勝手と言うことが見えてしまう。でも愛しくもある。複雑な展開がある。
 一方のイライザの父親もたかり癖のある貧乏なその日暮らしから一転、億万長者になってお金が貯まりすぎていらいらするなど、コミカルな筋立てで物語が流れていく。この作品のテーマを吟味した所見は、階級社会であるイギリス社会での、上流階級への風刺とも言われている。
 イライザに恋する青年、フレディ役は、ジェレミー・ブレッド。このブログでもご紹介したグラナダテレビの人気シリーズ『シャーロックホームズの冒険』でホームズを熱演した俳優さんである。
 ちなみに映画のタイトル、『マイフェアレデイ』は一説に、高級ショッピング街のロンドン「メイフェア街」を下町なまりにすると「マイフェア街」と聞こえるからと言う意見を聞いたことがある(請け売りでいうと、子音Yの前のAは{ei}と読まずに{ai}と読むため、メイがマイに聞こえる。日曜日のサンデーがサンダイなるのと同じ理屈だ)。そんなセレブ御用達の街にふさわしいレディになるさまを描いているプロット仕立ての物語なので、タイトルを入れ替えたとも。『ピグマリオン』 もギリシア的というか、文学的で良いタイトルなのだけれどな。
 このように筋立ての思わぬ展開が読者や鑑賞者をどきどきさせたり、共感して感情を入れ込んだりする役割になる。そこに高尚なテーマや普遍的なテーマが入ることで、一気に芸術性が増すというのが、この手の文学のありがたみなのである。
 ついでなので、古典文学の場合はどんな分類方法があるかというのも軽く触れて終わりにしたい。現代のものではなく、昔の文学は鑑賞と言うよりも、分類で歴史的価値や文化の流布、移動を読み解く鍵になる。その役割のほうが現在は重要に感じる側面もある。もちろん教訓オチの多い古典や昔話の類では、バックグランドから現代の私たちと同じ心情などをくみ取ることも大切である。ただ文化全体の流れの中で、口承に近い形で人から人へと語り継がれて、時代や地域を渡り歩いたプロセスが、まるで悠久の時を経て完成した伝言ゲームのようで、文化圏のパーティションを教えてくれるのも興味深い一面とも言える。即ち換言すると、ある意味では歴史研究の補助学問に相当するという場合があるようだ。とりわけここでは、浅学の私ごときがご案内できるごく一般的な、どの国の文学作品にも通底して、適応できる分類方法を取り上げる。
 一例として、某譚という分類をするやり方を見てみよう。昔話や神話の類をエピソードの似ているものでカテゴライズする方法だ。これだと世界中に類似性のあるプロットや展開が散らばっているので分類しやすい。近隣諸国の場合だと(特に地続きの欧州など)、どこからかの影響を受けているという調査やルーツの研究もしやすいそうだ。
 挙げていこう。長者没落譚なら代表的なのは『山椒大夫(安寿と厨子王)』、英雄譚は各地に散らばっているので特に沢山の例はいらない。有名どころでは『アーサー王伝説』などかな。名剣を真鍮(岩だったかな?)の塊から引き抜く辺り、こどもの出来る技ではない。やはり英雄は違うのだ。異類婚姻譚なら『鶴の恩返し』や日本神話の「ニニギノミコトとコノハナノサクヤヒメの話」、「三輪山の神さまの話」など、貴種流離譚なら日本神話「大国主命の話」や『オデュッセイア』、動物報恩譚は再度『鶴の恩返し』や『浦島太郎』等もこれに当たる。他にも沢山の分類する某譚はあるのだが、ゆるい話の本稿はこんなもので良いと思う。後は気になった人はご自分で、他にどんな分類があるのか調べてみるといい。これ以上深く掘り下げるとわたしは熱中してしまうのでやめておく。
 これ以外にも他の方法で、神話の分類には、「バナナ型神話」分類もあり、このサンプルは世界中にあるという。スコットランドの偉い学者が名付けた分類方法である。不死と短命の分類方法らしい。これもまた興味のある人は調べてみるといい。もしこの時代、この物語の主人公になったとして、あなたはイワナガヒメとコノハナノサクヤヒメの両方を娶れるかという問いに、選択肢によってあなたの運命が決まるというお話である。興味のある方は日本神話を読んでみよう。永遠の命と限りある命。「なんか、小学校時代少年誌に連載されていたSLが宇宙を走るマンガにも、そんなテーマがあったなあ」と思い出してしまう。感慨深い。
 久々に文学、深いなあと思った。一応学費分以上の勉強はしたんじゃないかと自負している(笑)。これも自分で思っているだけだが。
 生涯学習は、教養を楽しく身につけることから始めるのがいい。そんなお役にたてば嬉しいのだが。
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