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73 ちょっとだけliberal artsっぽい話 3 -歴史と占星術と天文学とホルスト- [リベラルアーツっぽい話]

 長いタイトルである。しかも格を示す助詞の「と」だらけで、良い文章とはお世辞にも思えない(笑)。今回は欧州の文芸や創作の根底にある主題の源泉となる事が多いローマ神話と占星術の「お伽話」である。なぜお伽話なのだろう。この当時は「天体占星学」という学問と民間信仰の狭間の最末期時代-もうほぼ学問ではなくなった時代である。信じがたいが、近代以前は魔女の黒魔術、金を生み出す錬金術、そして今回の話題である占星術って本気で学問として、調査、研究されていた時期がある。こういうテーマって、歴史好きが一度は気にかけたことがある題材にしたリベラルアーツならではのお話である。特に占星術は、天文学の要素を含んでいたので、昔は必須の学問だったけど、今はいち文化に過ぎないもの。感覚としては、日本の大正以前、科学八割、民間俗信がまだ地方や部分的な分野で二割程度残っていた時代と同等の社会背景かと私は考えている。科学の進歩とともに、天文学と分離して占いや文化に変化していった概念。
 では始めるが、根本はおおよそで押さえているとは思うが、所詮は実証事項のない「お伽話」である。もしまことしやかに読めるとしても、憶測の領域を出ない伝説や昔話の類いとしてお読み頂きたい。『遠野物語』の座敷童やカッパと同等に、愛される西洋占星術の歴史の絡んだ昔話、お伽話である。歴史文化の雑学とも言える。このようなコンテンツを事実のように言ったら、私自身何か違うと思うし、実証史学の歴史好きのみなさんがなじめないかもしれない(笑)。

 では占星術という主題を選んだきっかけから入っていこう。最近、ラトル(Sir Simon Denis Rattle)の振るホルスト(Gustav Holst 1874- 1934)の『惑星』(1918)を聴いている。十九世紀から二十世紀初頭を生きたホルスト、たまに聴くといつも新鮮である。今回のものは音も録音も実にいい。クラッシック音楽の録り直されていくコンテンツは、日進月歩で聴くごとに面白くなっている。今回聴いているEMI盤(TOGE-11084)は冥王星だけでなく、小惑星まで入っている。どんどん増えていく(笑)。
 専門家に言わせれば、もともとこの曲は天体や天文学を意識した曲ではない。わたしのような拙い者のお粗末な知識だが、本来ミュシャの『黄道十二宮』なども含めて、こう言った芸術的な主題の背景には、おおよそ歴史的時代相や文化概念が関係している事が多い。
 私たちおじさんは、2006年に国際的な取り決めが変わる以前の学校教育で、冥王星を惑星の一部として教わってきた。『すい・きん・ち・か・もく・ど・てん・かい・めい』と小学生の時覚えたのが懐かしい。
 このホルストの『惑星』には冥王星がないのは、大きく周知されている(別の作曲家マシューズが後に付け足したけど)。1930年のトンボーによる冥王星発見がまだなされていない時代の作品だからだともいう。しかしそれ以前に冥王星のない時代の時代相、占星術の見地からのイメージで、現代の天文学を意識した作品ではないから入っていないと考えるのが無難だ。
 いわばもっと重要なことは、地球が入っていない事である(『惑星』TOGE-11084の解説ライナーノーツp.18にも軽く触れられている)。これは母なる世界なので、視点であり土台だからである。そしてそれこそが、この作品が天文学ではなくて、それ以前の占星術との関連を示唆している部分だからだ。占星術の星の要素は地球から見える天宮図であるからおおよそ地球は大地としてしか見えない。星や天体の一部とは見做されていないと言う意味だ。
 子どもの頃に習ったように、惑星は不規則運動をする。太陽公転の惑星には、地球の自転による円盤運動(現代の星の日周運動、天球の北極星を軸とした天体運動)が及ばないからだ。他の大多数の恒星とは異なり、勝手に円を描かず移動するのである。理科で大昔に習ったのを思いだそう。
 この地球なしの状況からみても、ホルスト(あるいはホルストにインスパイアを与えたもの)は神話や占星術としての惑星をイメージしての創作だった。これはそれぞれの惑星に、副題が添えられているところからも容易に想像が付く。例としては金星が「平和をもたらす者」などだ。専門家がよくホルストについての文章を書いているのを見ると、わりと触れられることの多い話題である。ただしこういうお話は、音楽を理論で考える人々に任せておけば良い。音楽を聴くだけで、歴史に興味のある私は、こっちではなくて文化的時代相が気になる。
 たまに日本語の占星術というのを英語にするとどうなのだろうと小さな疑問にぶつかるときがある。それほど得意分野ではないが、ちょうど良い機会なので簡単に調べてみた。さらにそれに空想も加えてみよう。astrologyは辞書で占星術、horoscopeも占星術である。もうひとつ星占いにはzodiacという単語がある。ただしzodiacには辞書を引くと黄道帯と十二宮図、歳月などの一周という三つの意味があり、十二宮図には金属の星座が彫られた円盤の絵図が載っている(『プログレッシブ英和中辞典 第四版』小学館 p.2160)。つまりzodiacこれ自体に占星術の意味は無い。きっと後ろにastrologyかhoroscopeの単語を付けてセットで、黄道十二宮の占星術、つまり十二星座星占いになるのではないだろうか。それを省略してzodiacのみでもその意味で使うことが多くなったのかも知れない。推測に過ぎないが。常に私が違和感を持つ、携帯電話を「ケータイ」だけで、電話を意味させているあれにちょっと似ている(笑)。
 ただそう考えれば、私が別アカで出しているミュシャの『黄道十二宮』の英名「zodiac」の十二円盤や便宜上「西洋十二支」といっている意見に正当性を少しだけいただけるかもしれない。
horoscopeはhoro-という語頭に意味がありそうだ。例えばhorolo-まで行くと、辞書を単語順に観察すれば、時計やその台座である時計盤や円盤の関連語に行き着くことが分かる。時間という「時の概念」だろう。
 空想してみよう。私たちは巨大な円盤を皆平等に頭上に持っている。天球だ。その天球は夜空になるとわかりやすくなるが、地球自転速度が一時間に十五度で(北極星だけは動かないけど、天球一周360度÷15度<一時間>=24時間。つまり天球は大きな24時間の時計盤という概念が成り立つ。実際には太陽光での昼間、大地の下に沈む星々もあるので、時計盤の針を追うように360度で星の周期は見えない)、これに合わせて天球も回っている。このことが通底概念全てのルールとなる。ここに時間という概念が存在するし、成り立っている。夜空の星や太陽が時を刻むのである。つまり地球が自転と公転することから時間という概念が生じたと考えるのが妥当だろう。換言すれば自転が24時間と公転が365日と言うことだ(もちろんぴったりの数値でないから閏歳、閏月、閏秒などの修正時間が必要とされてきたし、誤差をなくすために、起点となる春分や秋分の同時刻の影などから、太陽が同じ日にちの同じ時刻で南中に位置することなども調べたのだろう。ましてや天動説の時代も含めたときは、24や356、29-30などの数字のみの計算に過ぎない可能性もある)。ここから過去の時間や暦に関わった優秀なひとびとは、両者を考慮の上で分割したり逆算して、分や秒という概念を発見したのかも知れない。たしか我が国の陰陽師の所属した宮中中務省の部署はそんな場所だったような……?
 私たちの現代社会は、宇宙の周期性のルールである時間という概念とともに過ごしていることになる。その意味で天体と占星術と時間は大昔は背中合わせの学問だったのかも知れない。哲学概念で言えば、大もとは一緒の概念だったとも言えよう。
 つまりhoroscopeは、-lo-がない分、時間とは関係ない方の概念のようにも想像できる。黄道十二宮や天宮図を意味するので、大空の太陽の移動する円盤(天球)と考える空想も成り立つ(同掲書 小学館 p.936)。やはり太陽の通り道にある星座たちということで、天体運動と黄道十二宮の概念に行き当たる(ただ実際上の天体の黄道の星座は13あるのだけど)。そしてその星々の移動や運動の規則性などから導き出すご機嫌伺いが、星占いと言うことだったのだろう。
 一方のastro-にも-logiと-nomの接続する語尾があり、語彙や意味の枝分かれがある時点から存在したのだろうと考えた。ただしこの辺の言葉の解明も英語の専門家がもうやっているのだろうから、空想家の素人の出る幕ではない。どれも私の空論、勝手な推測の領域を出ない。でもこういう話には夢がある(笑)。
 ここで必要なのは占星術と天文学は似て非なるものということだし、このホルストの作品がインスパイアされた文化的土壌を考慮したとき、やはり占星術からの主題と考えてこの音楽を聴くことが重要であると個人的には思っている。神話、すなわちローマ神話の神々と星々、そのお姿を思い浮かべて聴くのが私流ということだ。マーキュリー、ジュピター、サターン、ヴィーナスと神々の名前を冠する惑星たちとそのイメージ(ちなみに地球はテーラ terraである。そして関係ないけどマッカートニーのアルバムにも『ヴィーナス・アンド・マース』がある)。まさに歴史と神話と自然物からの創造物である。だから冥王星が入っていなくても問題にはしないし、小惑星もとくに興味ない。今回はこの歯切れの良い結論を導き出したかったのだ。ただし詳細事項の部分は、素人の世迷い言故、世間話の延長線上に位置するお話、お伽話として処理してほしい。おおよそ、だいたいは間違いとは言い切れないが、信憑性は低いレベルの話だ。なぜなら私は天文学者でも占い師でもないからだ。しっかりした事実を知りたい方は、本当に学問や研究をしている書物を当たることをおすすめする。
 どうでもいい理屈を並べさせて頂いて、鑑賞するイメージやモチーフの再検証をここでさせて頂いた。こういう機会でもないと、ちゃんと調べようという気にならないためである(笑・ここで使う「ちゃんと」という言葉が、素人の探求ごときに対して適切かどうかは疑問だが)。
「ここまでややこしく考えて、音楽を聴いても楽しくない」といわれると困るので、今回はたまたまであると言い訳をしておこう。『惑星』だからである。これが「マス」だったら魚釣りの話をしていただろう。

 今回は文化、概念、芸術のベースとなる歴史社会と時代相を面白い切り口から取り出すことが出来たのではないだろうか?
 最後に占星術astrologyと天文学astronomyのこと。これらの両者、語尾のわずかな違いで、どこかの時代から枝分かれしたお隣同士の概念だったのかも知れない。しかし現在は全く相容れない概念である。狭間に科学という大きな壁があるからだ。
 こんなややこしいことを考えるよりもホルストを聴いて心を安らげることにしよう。



おまけ
 前の話題、三輪そうめん食べてみた。きめ細やかで、繊細なそうめんだった。おいしくいただけた。御利益ありそう(笑)。最後はローマではなく、日本の神さまの話になってしまったが。あしからず。



 
ラトルの『惑星』に関する盤紹介。ここにもシンセサイザー演奏者冨田勲さんの話題があるが、クラッシック音楽を雰囲気だけそのままにポピュラー、大衆に紹介する才能の持ち主であることが今更ながら知ることが出来る。尊敬に値する。
https://www.hires-music.jp/mqa-classic4/



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