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19 一般的な機材の話 [一般的な機材の話]

 このブログではいままであまり突っ込んだ機材の話をしていない(当然今回も突っ込んだ話にはならない)。理由はとても簡単。私はあまり機材に詳しくないからだ。もうちょっと正確に言うと、機能についての知識が乏しいからである。カウント数を増やしたいなら、各メーカーの機種間の使用レポートや諸元考察などをすれば良いのであろうが、どうもそう言ったものに疎い。それにカウント数を増やそうとも思っていないので、疎いなりの機材の話である。
 マニュアルフォーカス時代からファインダー内にあるメーター付きの内蔵露出計と絞り、シャッター速度、ISO感度の調整だけあれば、私の撮影など十分間に合う。好都合なことに、これさえわかれば、マニュアルモード撮影限定だが、メーカーを問わず大部分の一眼レフを操作できる。メーカーごとに特徴のある新機能は楽しみとしては使うのだが、ここぞというときはなぜかマニュアル露出が多い。頭の中で、できあがりのイメージをしやすいため、安心して撮影できるのだと思う(ただメーカー間や機種間、製造期間の異なるモデルで同一F値の明度の差は一、二段あるのだが)。
 作品のテイストはレンズに寄るところが大きい。撮影の本を読むと(かなり昔のものが多い)、レンズに費用を費やすべきだと書いてあるものが多い。ご多分に漏れず私もそれにしたがっている(勿論余裕のある人は別だ。買えるなら旗艦機を入手した方が良いに決まっている)。安いものでも良いので大口径や特殊ガラス、特殊コーティングなどを使ったものを選ぶ。特殊ガラスなどを使ったものとは、旧大井町ならナノクリと呼ばれるナノクリスタルや旧下丸子ならUD、蛍石が代表格。ほかにも特殊分散など種類も呼び名も様々だ。
 巷では「デジタルになってから味のあるレンズが少なくなった」という声をしばしば耳にしてきた。これは当時の大昔の基準で当てはめているからだと私は考えている(つまり意見が間違っているわけではなく、相性の問題だ)。味のあるレンズは結構ある。またボディーとの組み合わせで随分とその力の発揮加減も変わってくることも確かだ。組み合わせてみないと分からないと言うのが本当のところである。
 ひとつだけ例えると、中望遠ズームやレンズ類。柔らかいボケを好む人が多くなってきたために、かつての鋭いボケを避けるようになって、そういうレンズはあまり紹介されなくなったことも大きい。ポートレートや花のための単焦点などには円形羽根と呼ばれる絞り羽根が当然の世になった。もちろん私も大好きだ。背景の光がキレイにまん丸に写るのが好まれて、さらにそれを柔らかく見せるテイストも調整されている。楕円や筋状になるのを美しいとしなくなった背景がある。コンテストなどでもそれが良いと評されている審査結果の文章が目立つ。
 だが、探せばいまでも面白い筋状の光のボケを写してくれる中望遠やズームレンズはある。ただ誰も話題にしないため、販売店のショーケースの奥の方で冬眠状態にいる事が多い(この類、値引きしている場合が多いので私にはありがたい)。
 実はこういった性質のレンズで草むらを撮影すると、かりっとしてリアルなみどりが紙面にも蘇る場合が多い(フォトコン指向の人は購入をやめよう。浪費になる気がする。無理にとは言いませんけど)。おおよそ望遠レンズなので、柔らかいボケはでるにはでる。だがほかよりもボケ味がカタい。草葉のみどり色のわずかな違いに明暗を与えてくれて、みどりの階調が流れるお気に入りの作品になる。葉の一つ一つはシャープに写る。柔らかさは同種の玉と比べるとまるでない。ついでにいうとこのレンズ、意外にも流し撮りで格好良く写ることが判明した(儲けた気分である)。
 例には挙げないが、他の焦点距離のレンズでもまたいろいろな特性が見られるのは想像つく。その辺をどのように理屈づけるのかは難しい。ただこういった「癖玉(くせだま・個性の強い交換レンズの俗称)」は、オールマイティというわけにはいかず、それ以外に使い道がない場合が多いので、いざ購入となると二の足を踏むことも確かである。カタログを手にしたときは、ひとつひとつ確認している。
 しかしこうやって考え直してみれば、設計が古いからというだけで、最初にはじいてしまったあのレンズ、もう一回スペックを確認してみたいとか、焦点域が狭いズームだからと言って、排除してしまったあのレンズ、実は良い写りをするかも知れないと見直すきっかけにもなりそうだ。ポジティブな再考策である。
 経験から一つ言えるのは、焦点域が狭くても、F4以下の開放値を持っているレンズなら評判にかかわらず私は使う。16-45mmF4通しのAPS-Cの標準レンズ、焦点域の幅は狭いが、ものすごく写りが良い。逆に狭いと言うことは、構造上シンプルに出来ているので、無理なく明るくしやすいと言うことのようだ(by 店員さん)。レンズにとって明るさは一番のスペックである。明るいレンズほど、開放域と最大の絞りきった場所を除いて、どんなF値に移動しても難なくキレイに写る場合が多い(つまりは、f22とかのつぶれぼやけ状態やf2.8以上の開放域ではどのレンズもゆるいハイキー画像ですよ・笑)。
 他にも設計でいうと、フルサイズなら今は24-70mmの大口径がスタンダードだが、28-75mmなどもちょっと前まではスタンダードだった。広角域をあまり使わないというのであれば、安価で写りの良い標準ズームを手にできる(私には広角域は重要なのでこの例は当てはまらない)。あとは月並みだが、「腕でカバーしよう(笑)」という意見を昔良く聞いた。(書いておきながら申し訳ないが、私はそんな上手い撮影技術は持って無いのであしからず)。私事判断からの機材の話で恐縮だ。
 さて今回は珍しく機材の話を書いた。あまり触れないようにしていたのも確かだ。今回は浅学な私が扱える範囲でのお話なので許していただきたい。素人の戯言と思って軽く流していただくと嬉しい。ただ、このお話は埋もれたラインナップの掘り返しにも繋がるのでメーカーさんにもメリットがほんの少しあると考えたのでネタにした。趣味大部分で完全なアーティストとも言えない人間が書いて良いのはこの辺りまでが妥当である。一般論の端っこ辺りの話題だ。
 機材についてはいろいろな思惑や考え方も多いので、ほんの一例として読み流してくれればそれで良い。私ごときが考える機材のことなど好事家の酔狂程度の話である。
 それよりも、花と祭が本番になるこれからの季節に思いを寄せる方が、私らしいと自分では思っている。要は写真を撮るというイメージよりも、自然と伝統文化を撮る人のイメージなのだ。だから機材はそれに合ったものを選ぶだけのことだし、他の分野の撮影方法は分からない。そして自然と伝統文化や景色ありきの世界観であり、それを表現したくて写真を撮っているし、写真展をするのである。
 あと被写体としては神奈川の町や景色も加えておこう。ご清聴(?)有難うと媚びて幕引きしたい。ではまた。

今回はなにも載せる画像がないので、昔食べたおかげ横丁の冬季限定ぜんざいと昔やった写真展の準備中のサインボードを写したもの。全く本文とは関係ありません。m(--)m

18サインボード20p.jpg赤福ぜんざい20p.jpg

【ひそかにクイズ】
かつて開放F値の明るさから暗闇重宝すると言われたレンズがあります。お値段も半端じゃないため幻のレンズと言われています。このレンズはその夜の特性と重なるためクラッシック音楽の佳曲から取った愛称があります。なんというレンズだったでしょう?
(一部に教えちゃったんですけど(笑)、答えは次回載せます)

【あと追記】
今回は花の写真などを中心に撮っている方々のブログに訪問させていただきました。お返事が思ったより多くて感謝です。おまけに皆さんフレンドリー。細々とやっている反応の少ないブログだったので、ちょっとびっくりしてしまいました(とても嬉しい!)。経験したことのない賑わいに少々戸惑っています(笑)。普通の状態に戻ったら、また個々にご訪問して「nice」させていただきます! 拙作、拙文への皆さんのご訪問に感謝。ありがとうございます。
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18 自然と山野草 [写真 自然]

 三十歳前後まで渓流釣りをしていた。休日は奥多摩の日原や東丹沢などで、一間半ほどのグラスファイバー製の和竿を使ってやっていた。イワナは結局だめだった(釣り堀でなら釣ったことはある)。ヤマメとニジマスが多かった。下手の横好きというやつだ。いくらを使うのは幼魚のみ、通常は練り餌、疑似餌(毛針の類のてんから)、川虫などが好まれる。矢羽根型の蛍光色の目印を道糸につけて。
 他の釣りは全くやらない。ほとんど渓流のみだ(まあ小学校の頃にはフナとコイの清流釣りもやったがほんの少しである)。みどりの中をナップザックに釣り竿を差し、マニュアルフォーカスのAE機を肩にひっかけて歩いたのが、九九年以前のお話だ。
 沢登りは生家が山奥だったので、身内から聞いたり、見て自然と覚えた。ただその沢には魚はいなかったため、沢ガニを捕っていた。花は山野草が多く見られた。野菊、ヤマユリ、ふきのとう、スミレなど季節によって様々だ。アケビやイチジクなどにも良くお目にかかった。地面に近い場所は昆虫たちに先を越されているので、彼らの狙わない高い場所のものを上手に落として食べた。昔話のような世界だ(でもそこまでの歳をとってはいない)。
 今は足場の悪い場所が苦手なため沢のぼりをすることはなくなったが、ヤマメやニジマスのいるあたりの渓流なら岸辺で十分なので、機会があればいけそうだ(だがあまりその機会はないだろう)。
 ただもっぱら、ボードウォークのある湿原や自然公園で撮影することがその代わりなのだろう。自然を味わいながら、アメニティの恩恵も受けたいといったところである。包括すると、私は険しくないゆるい自然が好きなようだ。言うなれば、人の手の入った自然である。一般に里山と言われる場所だったり、観光地の高原だったり、それに類する場所だ。
 釣りの方はもうほとんどしなくなってしまったが、撮影は今も花や自然を中心に、かなりのディープな趣味(?)として全うしている。
 神奈川について述べれば、箱根、丹沢という山々がある。とりわけ仙石原湿原と宮ヶ瀬の湖畔(宮ヶ瀬が観光地化する前は丹沢湖や日向渓谷などに行った)がもっとも多く行った場所である。最近はまとまった時間もないので、近所の自然公園や前回記した都市公園の散策が多くなったが、それでもボードウォークを歩きながら撮影をしていると、気持ちが晴れる。土と水の香りが入り交じった独特の場所にいると、なぜかくつろぎを覚えるのである。アヤメやサワキキョウなどの生える岸辺がお気に入りである。山ではこれらのような目立たない花でも、他に比べれば派手な類だ。
 山野にある花のほとんどは観賞用ではないのでさほど派手さはない。もっと言えば、地味である。模様があるにしてもおおよそ、地は一色のものが多い。その証拠にアヤメもキキョウも、目にするほとんどが紫色である。ちなみにアヤメは「文目」なので、交差する網目状の文様が花びらの蕊に近い部分にあるのが特徴だ。
 ただ香りだけは、時期にもよるが、麓の植物園や公園で栽培されているものたちにも負けない。虫媒花の意地とでも言おうか、例えば夏の百合はその一帯を香りの楽園にしてしまう。それはアゲハチョウの仲間に「おいでおいで」と言っているような強い香りだ。野バラ(正確にはノイバラやテリハノイバラである)や山桜などの香りも上品な香りだ。
 山桜を挙げたので、ちょっと書き足すと、被写体としてはソメイヨシノが画になっていいのだが、眺めるときは山桜や八重桜(里桜)が好きである。新緑の葉と一緒にピンクの花房が広がるあの気長な咲き方に春を長く感じていられるからだ。とくに山の斜面に咲く山桜が、山肌を水彩画のように彩る季節はなによりもサクラの美しさを感じる。
 箱根には高原の植物園がある。コマクサやチドリの仲間、ミヤマの名を冠する山野草などをボードウォークに沿って見ることが出来る。また首都圏ではなかなか見られなくなったカタクリやクマガイソウ、サギソウなどを見ることも出来る。季節の花に会える場所だ。
 ほころびかけたこころを癒やしてくれたのは、自然の木々、花々とせせらぎ。落ち着く時間だ。
 ひとりで黙々と訪れるのも悪くないのだが、そろそろ、一緒に行ってくれる仲間を探したくなった。そんな仲間、あるいは友人、知人がいれば、常設釣り場でもいいので、再び釣り糸でも垂れてみようなどと思うかも知れない。
 美しい景色と澄んだ空気と水、それを分かち合える相手、そんな生活も楽しそうである。コンビニのおむすびでも買って、あとは釣り場の「マス」でも焼いて、「野バラ」を見ながらシューベルト気分にでも浸ってみる(だた題名から言っているだけの貧素な知識だ)。
 ちなみに海も好きである。潮の香りを感じるのも自然の恩恵に触れる世界だ。神奈川の海は整備されていながら自然の残る快適な海である。散歩にはちょうど良い。
 ここに挙げた奥多摩、箱根、三浦から湘南は自然を見つめる良い場所だ。つまりは自然保護というと堅苦しいが、自然を感じる心を持つことが実は大切なのかも知れない。それを持っていないと、保護までたどり着けないと感じる。何のことはない、あどけない自然の話である。


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