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23 私流よこはまの花便り3 [写真 自然]

 今月は三回目の更新である。新記録だ(ただし今回は短めの文章である)。しかも『美術館…』の方も入れれば四回の更新である。快挙である。おそらく来月の更新はないと思う?(ネタ切れ、スタミナ切れ? いやもしかしたらまだがんばってアップする…)。
 そんなことはともかく真夏のように暑い日曜日。山手、港の見える丘公園のバラ園のバラがすごいことになっていた。満開で、どこをみてもバラだらけ。香りも、色も、何もかもが初夏、新緑の自然の中にいる満足感に満たされた。おまけに日焼けもした。
 バラ園の由緒を記した銀色のプレートが入口にあるのだが、イギリス館がそこに建っていることからイギリスの国花ということなどを背景に設置されたそうだ。一応理屈はある。
 実はサクラやウメもバラ科の植物である。バラの従妹ぐらいにはなるのだろうか。そういえば一重咲きのバラはサクラに似ているし、八重咲きのサクラはバラに似ている。
 そしてアジサイがそろそろ出番ですとばかりに花を開き始めていた。神奈川の五月、若い時期のアジサイは色は淡いが艶がいい。被写体にするのは実は五月末から六月前半の梅雨入り前の晴れた日がお気に入りだ。ただしあまりに晴れた日が続くと花がかさかさになってしまうので適度な雨は必要である。ちなみにアジサイはもともと相模湾沿岸の丘陵地域に自生する植物だったので、神奈川は伊豆半島と並び、もっとも生育に適した場所の一つということ。いわば彼らの故郷である。
 最後に一番上に見慣れない白い花の写真があると思うが、これミカンである。マクロレンズでかなり寄っての撮影をしている。それほど小さな花である。正確には温州ミカンと八朔ミカンの掛け合わせ品種らしい。これまたミカンも神奈川の西部では出荷するほどミカン畑がある。新幹線に乗っていると神奈川の西部から静岡にかけての傾斜地にあるミカン畑を目にする。知っている人も多いだろう。つまりこの付近もミカンを育てるのにそこそこ適している土地ということである。写真はリニューアルした西洋式庭園にレモンと一緒に植えられているものだ。ただし、この公園でのシーズンはもう終わっている。その証拠に写真の花の横に、同じ房で、すでに小さな緑色の実のようなものが付いているのが分かる。ほとんどはこのような花弁のない状態で、数輪だけまだ花のあるものが残っていたのでメモリーカードに納めた。
 山手を訪れている中で、この季節はめまぐるしく週単位で咲く花の種類が変わる。嬉しいやら、忙しいやらで、何とも不思議な気分である。
 撮影を終えて、用事を終えた帰り道、元町商店街を歩いて帰ってきたのだが、大変な賑わいだった。イベントが行われ、出店やワゴン販売がくりだした歩行者天国はぶらりと歩くだけで楽しいものだ。花の写真を撮った満足感や良い音楽との出会いと重なり、元町通りを歩くリズムも軽やかだった。
 その話の中心のバラの花などを下に貼付してあるのでご覧あれ。近隣にお住まいの方は、この四、五日はもつと思うので行かれてはいかがだろう。
 どうやら徐々にいつもの私のブログらしくなってきた。のんびりと牧歌的なブログに「おいないな」と結んでおこう。三重県にあこがれる(?)私のへんてこな三重弁(笑)。


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22 帰ってきた写真ギャラリーめぐり-鑑賞と有名作品 [写真]

 作品から写真家の世界観を考えるとき、概念なのか感性なのかという境目があると私は考えている。これは以前のシリーズ、第四回「個展」で掲げた主題に通ずるもの、そこで扱いきれなかった続きとも言えるものである。それを鑑賞者の立場から少し考えてみたい。
 創作作品には独自の世界観を開花させたときに、その人の作品の独創性が出てくるというセオリーがある。これは鶏と玉子のような問題で、売れたから独創性なのか、はたまた逆なのかというと問題だ。それを結論づける能力を持っていない私には到底述べるだけの力量は無い。ただ漠然とそのセオリーは巷に存在し、今日でも通用する説得力を持っていることは確かである。
 多くの写真展を回ると、例えば、未だに根強いのが社寺教会などを取り入れた風景写真のタイトルに「~巡礼」と付けたり、光の変化や造形をいろとともに写した作品に「~のメルヘン」とつける方々をまれに見る。分かる人には分かると思うが、土門拳や緑川洋一の信奉者、あるいはオマージュだったりするのかなと察している(あるいは別の意味からのアプローチも勿論考えられるが、おおよそはこのパターンが多いと思う)。こういったタイトルに、私は写真愛や作家愛を感じるのだが、一般的な上から目線の評価としては模倣と見なされている風な意見をよく聞く。ただ個人的には、純粋にその写真家が好きなのだろうなと感じて、その気持ちを大切にしていただきたいと思わずにはいられない。そういう人たちが写真産業や写真文化を担っているからだ。ありきたりだの、独創性不足だのと切り捨てるのは簡単だが、こういう方々が消費と意識の両輪で写真文化を支えてくれていると言うことである。ぜひともやわらかい共有性のある心で楽しい趣味を分かち合いたいものである。作品のクオリティにもよるのだろうが、パクリ等と揶揄して、一概に無下に扱ってはならないと私はたまに思うときがある(もちろん職業として写真家を目指しているのなら、また話は別なのだろうが……)。まあ、愛こそは全てといったところであろうか? 皆が仲良くできる環境が好きな筆者である(笑)。
 そんなオマージュを知るために写真家の世界観を知るために、自分の中の「審美性」を高める手助けをしてくれるものは何かと考えてみた(私ごときが審美性と言うのは気がひけるのだが、他に良い言葉が出てこなかった。分限は心得ているのでお許しを)。出てきた答えは、個展と作品集である。ただいきなりの個展ではその写真家の今を知ることは出来るのだが、全体を俯瞰するには至らない。写真集も同様の意見である。どちらも図書の分野で言う一次資料の類となるため、基礎知識をすっ飛ばした情報ということになる。やはり先に読むべきは、二次資料的な評論や紹介などの書物かなというのが答えだった。つまりは指南本とか入門書の類である。
 私が直接目にしたその類の本は二種類ある。叢書の類としてご案内すると、時代順に『昭和写真・全仕事シリーズ』(朝日新聞社)と『名作写真館』(小学館)である。どちらも写真家ごとにそれぞれ一巻になっている(複数人数で一巻のものも少しある)。もちろん私が目を通していない同様の他のシリーズものがとても沢山あるので、そちらが気になる方はそちらを当たられる方が良いだろう。自分が読み易いものが一番である。ここでこれらを挙げたのは、私が説明を述べやすいためという理由からだけである。そして叢書の内容、シリーズ構成などについてはネットの時代なので、賢者たる皆さんご自身でお調べいただいた方がよろしいと思う。
 全体的には、前者は写真家本人の意見も含め、かなりのボリュームになる。また細かな点まで網羅されている。発行が1980年代なのでいささか古い。後者は近年の発行ということもあり、最近の写真家までが網羅されている点が強みだ。こちらは分冊百科の形態での発行のため値段も手頃であり、薄くて読みやすい。まだ新しいものが入手可能かもしれない。入門には持ってこいのシリーズというわけだ。ただ利点は弱点でもあり、薄いがゆえ掲載されている作品数は少ない。結果的には、読み終えたらもう一冊ぐらいは必要になりそうだ。
 こういった類の書を読みこなしてから、写真家の個展や写真集の扉を叩いてはいかがだろう。私はこの手法をするようになってから、写真家の先生方の作品をギャラリーなどで見せていただくのが楽しくなった。そして自然に人に説明してあげるのが以前より上手くなったと感じている(感じているだけだ。上手いわけではない)。これが写真家の世界観や独創性を理解する一歩になると自負している。むろん私個人の考えである。
 もしこんな方法で賢者たる読者諸君の趣味や学習の守備範囲が広がったのなら、私にとっても嬉しいことである。これから暑くなる季節、美術館やギャラリーは涼んで楽しく知識を得られる場所になる。楽しみである。また多くの写真作品と出会える喜びを味わいたいものだ。そしてごくたまに『帰ってきた写真ギャラリーめぐり』もネタが見つかったらお目にかかれると思っていただきたい。またしばらくは、花便りでの更新が続くと思う。もちろん書く気力が続いていればの話なのだが(笑)。
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タグ:写真
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21 帰ってきた写真ギャラリーめぐりと私流よこはまの花便り2 [写真 自然]

 なにやらM78星雲から来た特撮ヒーローのようなタイトルにしてしまった。つけた後で気付いた。まあ時代的に知っている人も少ないとは思うのでこれも問題は無いだろう。
 GWも真っ盛りのなか、この文章を考えていたのだが、久しぶりに東京に出て写真ギャラリーを訪問してきたので書く気がおきた。
 主だったところでは、リコーの新宿ギャラリー(旧ペンタックスギャラリー)とコニカミノルタのギャラリーだ。後者のコニカミノルタの展示室のひとつでは木村伊兵衛賞を受賞なさった方の作品展が開かれていた。このコニカミノルタギャラリーの一番奥の展示室はいつもながら、仕掛けを施した展示をする方が多い。仕掛け絵本や科学実験ファンのひとにも愉しめそうな写真展である。今回もご多分に漏れずの趣向を凝らした面白い展示をしてくれていた。
 かつて私が写真あるあるネタのTwitterをやっていたときにbotで流していた写真偉人のひとり、ダゲール。そのダゲールが発明したダゲレオタイプ写真術を作品として、この21世紀にやってのけている人がこの受賞者だった。手放しで拍手ものである。展示で現代のダゲレオタイプを見せていただいたのだが、ホログラムのように美しい像が愉しめる。
 しかも前述のように趣向を凝らした仕掛けがある。展示作品の前に裸電球がぶら下がっており、その位置に鑑賞者が立つと柔らかい光で作品を照らしてくれる。レトロだ。今やフィルムをほとんど触らなくなって、しかも使う機材すらもうない私だが、鑑賞者の立場としてこういった銀塩などのオールドタイプの写真に向き合うと時代や文化を思い出す郷愁的な思いに誘われる。明治、大正、昭和初期の気分が味わえた(もちろん私は生まれてもいない時代です。想像で言ってます)。
 帰り際に地下からビルを出たのだが、あのメロンパン、後ろ髪を引かれる思いだった。お昼を食べた直後なのでやめておいたが、食べてなかったら間違いなく入手していたと思う(笑)。その後10年ぶりぐらいにサブナードをぶらぶらしたのだが、随分と変わったのだなと時のたったのを感じた。
 こんな話をしていると、おじさんに思われるので、後半の花便りに話題を移そう(すでにおじさんの自覚はあるのだが……笑)。
 横浜山手の港の見える丘公園、バラが咲き始めた。品種によって咲く時期が違うのだが、結構な数のバラが咲いていた。バラというと八重咲きのものを想像する人も多いのだが、私のお気に入りは割と一重咲きやシンプルな花弁のものが多い(勿論王道の八重咲きも好きですよ!)。
 少し前に行ったときは、アメリカ山でモッコウバラが満開だったが、今回はすでに終わっていた。一輪咲きの大きな品種が咲き始めている。…と言うことはそろそろ見頃だと言うことだろう。枝葉を持つ低木の品種はあと一二週間というところだろう。楽しみだ。
 公園の中は花満開。アヤメ、ラベンダー、ビオラ、ネモフィラ、マーガレットの仲間、百合の仲間、ルピナスの仲間など百花繚乱、今盛りなりといった感じである。前回も申し上げたが、リニューアルして間もない公園の中なので観光客だけでなく、近くの人も多く大賑わいだった。
 山下公園のバラ園も山手ほど数は多くないが、白バラが一重、八重と清楚に咲いているのが美しかった。潮風が心地よい季節になり、人出も多かった。天候にも恵まれ、良い休日を過ごした感じだ。少々疲れたが満足。こういうのを心地よい疲れというのだろう。
 さて作品も溜まってきたので一昨年の個展でも一部お披露目したものも含めて、デジタルの作品集を作ることにした。もちろん自己満足のレベルだが、興味のある方にはまたご案内させていただきたい。

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写真は順に①壁に咲くバラ②黄色種バラの三重奏③山下公園の白バラ④港の見える丘公園のバラ園に咲くアヤメです。

懲りずにひそかにクイズです。お暇な方はパズル代わりに暇つぶしにどうぞ。変な文章(笑)

①下の文章には十五のクラッシックの曲名が隠れています。
「月光を浴びて、モルダウの流れる田園の風景に威風堂々と鱒が跳ねた。噴水のエステ荘から戻ったアルルの女は運命を嘆き、悲愴な気持ちでそれを見ていた。だが精霊の踊りを見て楽しくなったのか花のワルツで一緒に踊り始めた。そこに新世界から魔法使いの弟子もやってきた。最後は別れの曲で雨だれのように泣いた」

②下の文章には十一のマッカートニーの曲名が同じく隠れています。
「遠い昔のこと、心のラブソングを口ずさみながら、幸せのノックにドアを開けると長い曲がりくねった道を歩いて夢の旅人がやってきた。そこに立っている彼女を見たとき、あるがままの光景がそこにはあった。ひとりぼっちの孤独な夜をもういらないと言った僕を、昨日見た魔法の不思議な旅に誘ってくれたのだ。終わり」

☆正解しても何も出ません(笑)。