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77 夏のお祭り見物-江ノ島編 [まつり見物の話]

 少々間があいた。ご無沙汰である。その間に梅雨は明けていた。
 今回はお祭りの写真を中心に話題を挙げたいと思う。特徴のあるお祭りだ。
 だがその前に、まずは77回目の記事と言うことなので、数字にちなんで七夕祭りの飾りの画像をアップしよう。選んだのは東京大神宮の七夕飾りだ。
 では本題の湘南の祭のお話。湘南といえば海。海と神事が密接に絡んだ湘南地域の特徴的なお祭りである。
 七月一日の日に湘南海岸の多くの海水浴場は海開きとなった。江ノ島周辺では、海の家などが百パーセント稼働するのは、十五日過ぎからである。それまでは半分から三分の二くらいの海の家が営業を開始する。
 七月八日は天王祭。一般には素戔嗚尊をまつる神社のお祭りである。江島神社も境内に八坂さんがあるので、この日がお祭りになる。画像にもある通り、弁天橋の袂ののぼり旗には八坂神社の文字が翻っているのが分かる。この天王祭、江島神社の場合は、神輿が海へと入る海中渡御という行事が有名だ。見物客も多くなる。
 江ノ島はトンボロ現象が見られるように浅瀬が続く砂浜である。境川が長い年月をかけて運んでくれた土砂が砂州を形成して遠浅が出来上がった地形だ。この砂州を軸にして、片瀬の海岸は東浜と西浜に名称が分かれる。水族館側が西浜、稲村ヶ崎側が東浜である。この砂州、干潮時には橋を渡らずに、砂浜で陸と島が地続きになるので徒歩で渡れることもある。それをトンボロ(または陸繋島とも)という。
 江島神社の境内からお囃子を随行させて、神輿が下っていく。道案内は、赤顔、高鼻の猿田彦が行う。記紀神話は天孫降臨でおなじみの道案内役の神さまだ。最近はコーヒーでも有名なようだが(笑)。
 参道の両脇の商店に向かって、神職がお清めをしながら進んでいく。そして弁天橋の袂までいくと、海中渡御の準備に入る。湘南地区のそこそこの規模の神社は海中渡御や海清めの神輿巡行を行う神社が多い(浜降祭なんていう名前もある)。その大半は早朝である。そんな中、日中がメインの江島神社は観光客、海水浴客やビーチスポーツを楽しむ人々も多いので、自然と見物客が増える。ちなみに、この日はカンカン照りまでいく、晴天であった。
 神職やお囃子は、ボートに乗って神輿を待ち受ける。ここが他の湘南地区の神社と異なる点で、何隻もの神事関係の船に囲まれて、海中でお清め神事を行うのである。ここまで行う神社は限られており、それほど多くない。船が「べんてんまる」というのも良い感じだ。
 海中渡御の最中、近所の商店の人たちも交代で見物に来ているくらい夏の風物詩である。この海中渡御後神輿は、対岸の片瀬浜、腰越方面に向かって練り歩くのである。よく鉄道好きの写真ファンが江ノ電と神輿の写ったショットを撮っておられるが、それがこの祭の日の午後の風景である。神輿は午後に江ノ電江ノ島駅の東側に到達する。腰越の商店街、江ノ電最中や龍口寺前交差点のあたりである。
 私個人の中では、このお祭りが夏一番を知らせるもので、夏本番は鶴岡八幡宮のぼんぼり祭である。九月には流鏑馬もあり、自然の残る湘南地区で緑や海と一体となるお祭りを味わえるワクワクする季節の始まりである。もし神奈川に来る際は、そういった楽しみ方でおいでになるのも良いのではないだろうか? そして今年の夏も、皆が安全に何事もなく、多くの人たちが海辺の楽しい思い出を作ってくれることを願う。
 最後にカニの写真でお別れだ。このカニは江ノ島在住、イワガニくんのお姿。波打ちブロックの隙間をふらふら散歩していたので、神輿を待つ間ちょっと観察していた。調べると、このカニの仲間はイタリア料理に欠かせない食材らしい。食べるところはないのだが、いい出汁が取れるので、本場イタリアではペスカトーレのソースの出汁に使うらしい。ちなみに私は、採る気も無く、食べる気も全くない状態で、彼を観察してた。よく波の寄せる中、踏ん張っているなと感心させられた。
 それにしても暑い日だった。おかげで帰りの電車のクーラーは格別に涼しく感じた日だった。良い写真が撮れた日はとても気分が良い。朝、行きの電車で、たこせんべい食べようと思っていたことを、帰りの電車で思い出した。また機会はあるだろう。いつもこう言って、伸ばし伸ばしになる性格である。そしていつの間にか、それすら忘れているお馬鹿さんである。

東京大神宮の七夕飾り
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弁天橋からのぼり旗と江島神社楼門をのぞむ
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神輿と参道
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猿田彦命
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海に入る神輿
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お清め・ご神事
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お清め・ご神事
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海中渡御
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イワガニ
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76 オルガンの歴史と修理、そして学習-生涯学習としての考察から- [リベラルアーツっぽい話]

 先日一日かけて、東京一周の敢行をした。なぜ敢行という単語を選んだかというと、最近は一カ所にしか行かないことが多いからだ。今回は、溜池山王、浅草、表参道、渋谷と地下鉄を乗り継いで都内を回った。赤坂近辺はもう二十年ぶりに降りた感じで、タイムマシンに乗ったみたいだった。かつての古い社屋やマスメディアでTBSの社屋は見たことがあったが、初めて溜池山王駅の高台から本物を見た。これで在京キー局で社屋を見たことがないのは、テレビ東京だけになった。テレビ東京はタワーの下にあった頃はよく拝見したのだが。
 代々木公園の国民放送は原宿に行くときよく見かける。汐留の日本テレビは銀座に行く途中で見る。六本木のテレビ朝日は六本木ヒルズの用事の折りにたまに見かける。お台場のフジテレビはメガウェブというトヨタ2000GTが展示、走行する自動車の博物館に行くときによく見かける。今回東京放送は、新しい社屋を遠方からだが初めて生で拝見した。
 この日はどこに行っても都内は混んでいて、特に銀座線は満員状態で、雨にもかかわらず外国人観光客の多さに目を奪われた。久々の諸用としては、カワイ楽器のオルガンビルダーさんの講演説明会と、約二十年ぶりに文章好きの皆さんの会合というのがどんなものかを見学に行った。主催者はもちろん過去のものとは異なる。二十代の頃は、文学やエッセイ、文章教室などの人たちが集まるような、こう言った会合にぽつぽつと出かけることもあった。現在、アマチュアも職業の方も参加する文章好きの集いがどんな風に変わったのかを見てみたかった。いわば社会勉強、あるいはリハビリ(?)である。
 では本題の楽器の話。表参道は青山寄りにあるこの店舗。落合恵子さんのクレヨンハウスの近く、同潤会アパート跡に出来た表参道ヒルズのはす向かいに、カワイ楽器さんの表参道ショールームはある。お洒落な場所で、どうも下町ばかり行くことが多い私にはもったいない、何回来ても場違いなイメージを受ける町だ。そこの三階に特設の会場をつくって会は催された。
 オルガンビルダーは大工さんに近い仕事をします。冒頭のそのお話にちょっと面食らった。確かに、そういう部分はあるのだろうなと察しはついていたが、ご本人からの直球表現に納得する部分と予想以上の重労働に驚かされる。
 まずは電子楽器と鍵盤配置が似ていることから電子オルガンとの比較から入ってくれる。ドリマトーンとかエレクトーンとかいうやつである。前者がカワイ、後者がヤマハ、あと松下電器音響部門ブランド、テクニクスのテクニトーンや、日本ビクターのビクトロンなんて言うのもあったなあ、と思い出に浸る私である。カワイのドリマトーンは昔、神宮球場の名物だったらしい。何に使っていたのかは私は知らない(笑)。
 通常これらの楽器は、上下の鍵盤で伴奏、主旋律、足鍵盤でベース音を弾くのだそうだ。だがパイプオルガンやチャーチオルガンと呼ばれるものは、どれがどのパート用という区分けをしているわけではない。足鍵盤が主旋律を弾く曲もあるそうだ。そして実際に演奏を聴かせていただけた。
 また大きなパイプオルガンの修理の模様もスライドなどで見せていただき、分解からリペアまでおおよそ5,6人程度の人数で行うのだそうだ。オルガンの規模にもよるため、小さなものだと最低人数の二人ということもあるらしい。
 またパイプは金属といえども亜鉛や柔らかい金属素材で出来ているため、簡単に変形してしまうようで、そのおかげで微調整の調律が可能になっている。軽くとんとんとたたくだけで、音色が簡単に変わってしまうという。
 有名なパイプオルガンのメーカーはフランスやドイツなどにあるというが、専門の学校があるのはドイツだけなのだそうだ。ほとんどのリペアマンは、親方から実地で教わっていくという。そのためマニュアルや教本などはほとんど無く、勘と経験が生きる世界らしい。
 チャーチオルガンは大仕掛けのパイプオルガンを準備する程でないときに使ったり、それほど大きな教会ではなく、パイプオルガンの設置の必要のない教会で使われているという。またヨーロッパ製のものは伝統的な作りが多く、アメリカ製のものは、音楽産業にも対応できるように調整がされているという。素人目で恐縮だが、ピアノのベーゼンドルファやベヒシュタインの欧州勢とスタインウェイのようなアメリカンと考え方で良いのだろうか? ジャズでスタインウェイを弾くピアニストがいても、あまりステージでベヒシュタインを奏でているのを目にしたことはない(あくまで素人の個人的感想です)。きっと使えなくはないのだろうが、イメージがないというのが本当のところだ(調べたらいたいた。大物だ。オスカー・ペーターソン。ベーゼンドルファーの鍵盤を余す音域無く操る『鍵盤の帝王』だったね。今トリオ・アンサンブル聴いてます。こういうイメージ外を探すのも好きである・笑・括弧内、後日加筆しました)。
 内部のリードやパイプ(音響部分)の実物を見せていただき、笛のように風で音が出来ることも教えていただいた。なるほど、頑丈そうに見えて、実は繊細な楽器なのだなという感想である。しかも調律も頻繁に弾くものは三月に一度、最低でも年に一回ぐらいは行うのだそうだ。そして二十年に一度のオーバーホールの際には、二千本のパイプをばらして清掃や点検を行う(神宮の式年遷宮と一緒の年回りである)。また弁と鍵盤をつなぐ棒がその重要な点検項目であるともいう。
 日本のように地震のある国は、こまめに調律をした方が良いと言うことで、メンテナンスになかなか時間のかかる楽器でもある。費用、手間、時間のかかるの楽器だが、その美しい音色や聖なる調べのためには必要なものである。オルガンビルダーさんの活躍には目を見張るものがあった。きっと知らないところで、またご活躍なのだろうと思うが、教示の件、感謝しみいる次第だ。
 店内で小市さんのお写真を横目に、軽く会釈をして、表参道のカワイ楽器ショールームを出る頃にはにわか雨が降り出した。こういうときに都内の地下鉄の駅は便利だ。ぬれずにどこかの駅に入ってしまえる。時代に取り残された私は「営団線の乗り場はどこですか」と言いかけて、駅員さんの不思議そうな顔に気付き、「あ、東京メトロ」と言い直す。もう何年も経ったのに切り替えの出来ないおじさんになりつつある(笑)。そういえば、私が子どもの頃は近所のおじいさん、おばあさんで国鉄を省線といっていた方多かった。その国鉄ももうJR、私たちの時代も最終コーナーなのかな? (笑)
 その後文章好きの皆さんと乾杯をして、午後七時には帰宅の途についた。こちらの主催者さんもいい人たちだった。
 帰りに少し講演中のメモの整理をしながら、オルガンビルダーさんとカワイの皆さんに感謝した。良い勉強になったことで、このブログの報告となった。そして帰宅後にカワイで音源モジュールのお話を聞いてこなかったことを思い出して、ちょっとうっかりだった。でもそれくらい内容の濃い楽しいお話だった。
 本来はこの記事、来月のアップ予定だったが、来月が忙しくなりそうなので、早めのアップにした。本日十一世紀のこの日1024年6月24日、階名唱法考案の日なので「ドレミの日」らしい(カワイのSNSに載っていたので詳細を調べてみた)。それではまたそのうちに。

カワイ楽器表参道ショールーム
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オルガンビルダーのお話の告知ボード
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オルガン講演会の資料
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カワイ表参道 リンク
http://shop.kawai.jp/omotesando/

カワイ楽器 リンク
https://www.kawai.co.jp/

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75 暇つぶしの幸福論②-趣味の楽器とその思い出編- [世間話 イベント]

 六月六日は楽器の日。私はこのブログでは洋楽やジャズなどを出すことが多い。今はそれを聴くことが多いためだ。自分の楽器の話は以前あまり出さなかった。だが、私の持っている楽器も、ロングセラーではあったが、もう随分古いものばかりとなった。(生産中止やリニューアルされたものだけになったので)時代的にも出しても差し支えないと思い、最近は型番や品名を言っている。
 まずは楽器に興味を持った頃から参ろう。それまで童謡の類いにしか興味が無かった私が、初めて(たぶん)貯めたお小遣いで買ったレコードは、ゴダイゴというグループのヒットソングだった。ごく素直に、シンプルに格好いいと思ったからだ。スーパーカーと図書室の好きな小学生だった時だ。ちなみにこの頃は良くプラスチック製のオカリナを吹いていた(たぶん「科学と学習」という配達月刊誌の付録だったと思う)。今はもう持っていないし、最後は割れてしまった。そしてすっかり吹き方も忘れてしまった。
 ポピュラーミュージックのバンドが持つ楽器に興味を持ったのもこの頃だと思う。ただ自分で弾きたいという衝動に駆られるのはもう少し後だった。単に格好良いなと感じた程度の興味である。祖父母の家にあった安い簡易的なレコードプレーヤーで何回もかけていた記憶がある。テレビドラマの主題歌とマンガ映画の主題歌だったと思う。
 それ以前の事で一つ。もし通った方は覚えておいでかも知れないが、五六歳の時、ヤマハの音楽教室に通った記憶がある。短期間だったが、オルガンを習っていた。古い礼拝堂、教会が教場だった。もう記憶すれすれの時代なので、覚えていることも少ない。授業の最初か帰りの時に、「♪やまは、おんがく~きょおーしつっ」と教室全員で歌っていた記憶がある。皆に渡されるせんべい缶のような四角のブリキの缶のお道具箱をもらったのが、私としてはたいそうお気に入りだった。家に帰っても嬉しくて遊んでいた。中身で覚えているのは、直方体で緑と白のプラスチックの筐体、手でたたく場所にスポンジをあてがったマラカスとカスタネットを混ぜたような打楽器が入っていた。振ると「しゃかしゃか」と音がしたので、音はマラカスである。缶のふたの裏は、白地に五線譜が書かれていて、黒磁石が音符がわりとなって、先生の板書した音符をそこに置いていく仕組みだった。あとは指の配置の本などが入っていたが、幼児故、それらに全く興味なかった(笑)。
 意識して、楽器を弾いてみようと思ったのは、最近の知人の方は意外と思うだろうが、ギターではない。電子キーボードだ。当時はこの電子キーボードのための簡易アレンジの専用の譜面も数多く出ていた。ここでも何度か出てきた『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァ』、イエロー・マジック・オーケストラというグループの曲を聴いたときである。そっぽを向いて、知らんぷりをしながらシンセサイザーを操る彼らの姿が衝撃的だった(今思うと単に人見知りの照れ屋な自分の性分に合っていただけなのだが・笑)。具体的な曲は「テクノポリス」と「ライディーン」などである。コード譜と五線譜のシンプルな譜面(ト音記号の簡素な譜面)なら読むことが出来たので、ポータサウンドという当時出たての電子キーボードを手に入れて、簡略化した編曲のものを練習をした。まるで坂本さんや細野さんになったつもりで弾いていた(お馬鹿である・笑)。そして買ったときは嬉しかった。祖父母に了解を取ると、「自分のお金なのだから好きなものを買いなさい(勝手に標準語に翻訳しています・笑)」と言ってくれたのを覚えている。
 左手は二本から三本の指で、和音を作ってくれる自動和音伴奏機能が付いている当時としては画期的な優れものだった。まだMIDIなど一般に出回っていない時代だ。今では数千円の電子キーボードとほぼ同じ性能だが、コンシューマー向けとしては、当時、類のない先端性を感じられた。リズムパターンを選んで、左手はCコードならドの鍵盤を押す、Cmならそれに隣の黒鍵も押す。さらにCm7ならそのまた隣の白鍵を三つ同時に、C7ならその黒鍵を外した二つの白鍵を押せば(おそらく)、素晴らしい伴奏(ベースパターンとドラムの入った伴奏)が出るので、右手で一般の人にも出来るようにアレンジされた主旋律を弾く。出来のよくない一人YMOのできあがり(笑)。
 実際に見たことはないが、オリジナルに近い譜面だったら、もしかすると不協和音や六度、九度なども入れてあるかも知れない。そんな高度なものは受け入れられない年齢だったので、子どもにはこれくらいがちょうど良かったのである。音楽入門の道具に最適だった。ちなみに受け売りで恐縮だが、テンションノートでは、音で聴くとぐずぐずなのに譜面で見ると、均等の取れた等間隔の配置なのを覚えている。これを最初に発見した人は理論派だったのだろうか? ジャズに良く多用される和音構成だ。
 この楽器はヘッドホンで聴くことが出来たので、ウオークマン感覚で、外出先でも楽器演奏が出来たのも嬉しかった。また当時のヤマハもそういう売り方をしていた。夜も暇があるとよく弾いていた。田舎なので全然音の迷惑はなかった(笑)。周りに家が無い! この楽器は二十歳前に壊れるまで使い続けた。結構物持ちが良い方である。小豆色とも葡萄色とも言えるような筐体色だった。
 その後、ハイティーンの頃、スーパーでアルバイト、よく働いた甲斐もあって、学校の軽音で使うYAMAHA-FGというアコーステックギターと学園祭で使うためのヴァイオリンベースを入手した。この頃にはもうマッカートニー一色である。最後が老舗和菓子屋のバイトと少々祖父の援助もありYAMAHA-SGの今とは違う当時のモデルを新品で入手。型番は2000だった。現行モデルほどロックテイストではなく、主にジャズやフュージョンの人たちに好まれたギターだった。ベースは今は二台目に変わったが、以前にも触れたように、今はこれらの楽器はお手入れがてらたまに弾いてあげるのみだ。今は特に本気で弾こうとも思わない。数十年、一緒にずっと十代から過ごしてきた楽器たちである。道具と言うよりも旅の連れに近い。愛着がある。
 本当は2000年前後まではカメラもずっと一緒に過ごして来たのだが、デジタル化と修理期間の終了などで古い製品は維持が難しくなったのである。フィルム時代と異なり、電子化が顕著なカメラの場合は仕方ないだろう。楽器で言えば、電子キーボードやシンセサイザーと一緒だ。科学技術の発展に同調する製品だ。常に最新のものを使わないと、画像が世の中のスタンダードに認めてもらえない。今では300万画素の画像データではだめですと言われるのも当たり前なので(スマホでもそれ以上の画素である)、相手に合わせる機材になってしまった。逆に日進月歩で便利になっていくという利点もあるので、ネガティヴに考えてはいけない。利点と弱点は背中合わせである。
 楽器屋さんに足を運ぶ癖が付いたのは、その電子キーボードの頃からである。デモンストレーターの人たちが、楽器店で奏でてくれる上手な演奏を(プロなのだから当たり前だが)、聴く機会も多く、社会に出てからも演奏が始まるとよく足を止めて、聴き入ることが多かった。激しい音、優しい音、彼らの奏でる音は、ピアノにせよ、オルガンにせよ、電子楽器にせよ、有名なアーティストまでは行かなくとも、後紙一重の人たちが多い。だから心からの賛辞や拍手を贈ってあげる。その拍手や賛辞がいつかギャラというお金に代えることが出来る日が来ても、ひたむきな演奏を忘れないでくださいという願いも込めた応援である。
 軽音の部活もやったのだが、本や写真ほど真剣に向き合うことが出来なかったのは、単に才能の有無をわきまえていたからだ。自然と自分の能力はこっちでは無い、これは自分が楽しむためのものであり、嗜好のためのものという意識が芽生えたのだろう。
 でも音楽自体を元来好きなため、その後飽きることなくオーディオメーカーでアドバイザーのバイトを長くやらせてもらえたのだと思う。アドバイス程度の意見をいうのが私にはお似合いだ。
 文章書きや生涯学習の活動など、教壇やステージなどの語り手やパフォーマンスよりも後方支援や企画、創作が好きなようだ。もっとざっくばらんに言えば、考えて書くことが一番自分に向いていたと言うだけのことだ。これは才能ではなく感性がそう思わせてくれた。図書室で育んだ第六感だ。実際、文章だって、写真だって、私より上手な人は星の数ほどいる(上手な人の方が多いだろう)。
 おっと楽器の話。以上のように、楽器は私の日常を彩る幸せの道具であり相棒である。音楽そのものも大切なコンテンツだが、それを可能にしてくれる可能性をその持ち主に託した楽器のポテンシャルに惚れている。私にとって、人を幸せに導いてくれる楽器はいとおしい存在である。

おまけ
 以前に少し触れたが、どうでも良いこの普通のブログ。ごひいきにしてくださったおかげでついに75話分の記事をクリアできました。不完全なものばかりで痛み入る次第だが、どんな記事が人気があるのかを調べてみた。アクセス数を基準にした順位だ。
一位は第46話 写真展とオーディオの回、加羽沢さんのヤマハのコンサートの記事。
二位が第58話 鎌倉芸術館の新装オープンと仲道さんのやはりコンサートの記事。
三位は第44話 よこはまの花便り11-黄金週間編、西洋館と緑のフェスと絡めた生涯学習連接記事。
ちなみに一票差なので挙げておくと四位は第40話機材の話3である。漸くカメラだ。
 こう振り返ると、このブログの読者はクラッシック音楽がお好き? 数字は一位と二位がせめぎ合い、三位以下を引きはなし、ダントツで200近くポイント差を付けていた。ピアニストさんのファンの方が観てくださっているのか? 拙い文章でピアニストさんの魅力を引き出せなくて恐縮なことだ。だが本来の役割が教育施設やギャラリーのレポートなのでそこはあしからず、というしかないのだ。そもそも主題が社会教育施設である。その場所で素敵なピアニストさんのイベントがあったというのが本稿の趣旨、立ち位置である。
 そして残念ながら当方はそれほどクラッシック音楽に詳しくないので(努力はしますよ。はい)、このブログ、読者を大切にしながらも、プロダクトアウトで行こう。知っていることを書くことしか出来ない。写真と自然も好きになっていただきたい(笑)。
ではまた。


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イメージ画像ピアノ
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ヴァイオリンベース
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SG
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坂本さんの記事(ヤマハのサイト)
https://jp.yamaha.com/sp/services/myujin/monthly_myujin/ryuichisakamoto

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74 暇つぶしの幸福論①-麺のお話編- [世間話 イベント]

 ひつまぶしではなくて暇つぶしである。ひつまぶしは熱田神宮の横で食べるとおいしい。
 そして久しぶりに『グレムリン』を観た。ジョー・ダンテ監督とスピルバーグの作品。ギズモとフィービー・ケイツがいい感じだった。こういうのがプロット的にも良い感じだ。
 では麺の話だ。喜多方ラーメン、佐野ラーメン、三崎まぐろラーメン、荻窪ラーメン、横浜家系ラーメンといった関東近県のラーメンを、食べ歩いていた時期がある。仕事であっちこっち行く機会があった頃だ。それにもまして、二十代の頃は新横浜のラーメン博物館で全国のラーメンがかわるがわる時期をずらして食べられることが多かったので楽しんだ。
 福岡や熊本の白濁豚骨や北海道味噌バターなどもやっぱりいい。ラーメンに紅ショウガやコーンというのはご当地の味である。さらにカップ麺や即席麺の豪華ヴァージョン(豪華って言っても二、三百円の世界です・笑)を入手して、綺麗に湯煎して戻すなどラーメンに磨きをかけた。トッピングもチャーシューは市販だったが、他のものは結構作ったりしていた。おそらく一時的にだが、写真や音楽より、頻繁に楽しんでいたかも知れない。それを見ていた知人に「オバQの小池さんか?」と言われたことがある(若い人は知らないかな?)。
 小池さんの凄いのは、お嫁さんが来て、おいしい手料理が毎日出てくるのに、即席ラーメンが食べられなくなって寝込むという笑い話の回があったのを覚えている。でもそこまで好きなら仕方ないと、お嫁さんもあきらめて? いや喜んで毎日ラーメンを作ってくれるというオチだったような気がする。ラブラブな小池さん(笑)。筋立て、古い話なので違っていたらごめんなさい。
 マンガの登場人物は、好物がトレードマークみたいな時代があって、アンドロメダに行く宇宙特急の主人公もラーメンが好きだった。ハクション大魔王はハンバーグ。ドラえもんはどら焼き。キン肉マンは牛丼。
 話を戻そう。ラーメンは湯切りの上手な店、煮卵のおいしい店、チャーシューがバラチャーシューで口の中でとろける店、麺はわりと黄色の太めの卵麺がおいしい店が好みである。最近はどんぶり一つなど、食べきれないのであまり行かなくなったが、たまに入るとほっとする。
 先日も横浜のとあるモールの中のラーメン店に入って嬉しかった。久々の当たりだ。白菜が入っているのに、ちゃんとラーメンスープのこくが出ている。健康的でおじさんにも優しい。量もそんなに多くなく、油も少なめなのに、このおいしさ。とても幸せな気分に浸った。
 以前はこのようなブログや会合のプロフィール欄、自己紹介の欄に割と、好きなものラーメンと書くことが多かったのだが、最近は店舗ならふた月に一度くらいしか行かないので、好きは好きなのだが、書かないことの方が多くなった。でも書かないからといっても、未だ好きなままである。ハーフ麺とかあるお店には行くことが多い。餃子とハーフ麺でちょうど良いくらいだ。
 人と会うときは気を遣って、ラーメンや日本そばとは言わない。イタリアンやエスニックなど、こじゃれた店にお伴するのだが、本当に好きなのは庶民的なそば店、ラーメン店、うどん店である。なのでその辺りが全部ありそうな和食屋さんを選ぶことが多い(和食屋にラーメンはないか)。
 そばは更級系の白麺も好きだが、挽きぐるみとか、合い挽きと呼ばれる灰色のおそばも好きである。そばがきでおちょこ一杯というのも、池波正太郎気取って注文してみたいものだ。三ツ矢サイダーとざるそばなら宮沢賢治である。そばがきに清酒冷やで、板わさをつまむなんてのがそば屋の楽しみになっている。ラーメンの回数が減るはずである。
 でもどれもそのときに応じて食べるのが私流だ。比較的苦手なものが少ないので、どこに食べに行っても特に支障の無い味覚である。ただすごく辛いのはだめ。泣いて謝る。辛さ何十倍という選択できるメニューには手を出さない。
 グルメブログではないので、お店の紹介は出来ないし、する気もないが、門仲、神楽坂、神田、飯田橋、浅草とたまに東京に出るときが、下町が多いのでそばが多くなるのは仕方ない。いや幸せなことである。
 珍しく、初めてに近く食べ物の話題だけで、一回分をおさめた。食べ物だけに、どうもごちそうさま。


……なんてね♪(←このジョークわかる人年近いね)


(補)今回のテーマは、はっぴいえんどの「ゆでめん」アルバムとは全く無関係に麺の話にしてます。

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画像は本文と全く関係ないのだが、横浜山手西洋館の来館記念グッズである。各館にて販売されているので、お立ち寄りの際は、お土産などにどうぞ。事務室などで売っています。なぜここで私がオススメしているのか良く分からないけど(笑)。
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おすすめついでにおにぎりせんべいもどうですか? ウメ味が期間限定らしい。どんなものか、おにぎり倶楽部で訊いてみましょう! マスヤサイトで見てみましょう!
マスヤのおにぎり倶楽部へのリンクです。一度行ってみてください。
(入会特典もあるのでアクセスしてみて)
https://onigiri1969.jp/m/
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73 ちょっとだけliberal artsっぽい話 3 -歴史と占星術と天文学とホルスト- [リベラルアーツっぽい話]

 長いタイトルである。しかも格を示す助詞の「と」だらけで、良い文章とはお世辞にも思えない(笑)。今回は欧州の文芸や創作の根底にある主題の源泉となる事が多いローマ神話と占星術の「お伽話」である。なぜお伽話なのだろう。この当時は「天体占星学」という学問と民間信仰の狭間の最末期時代-もうほぼ学問ではなくなった時代である。信じがたいが、近代以前は魔女の黒魔術、金を生み出す錬金術、そして今回の話題である占星術って本気で学問として、調査、研究されていた時期がある。こういうテーマって、歴史好きが一度は気にかけたことがある題材にしたリベラルアーツならではのお話である。特に占星術は、天文学の要素を含んでいたので、昔は必須の学問だったけど、今はいち文化に過ぎないもの。感覚としては、日本の大正以前、科学八割、民間俗信がまだ地方や部分的な分野で二割程度残っていた時代と同等の社会背景かと私は考えている。科学の進歩とともに、天文学と分離して占いや文化に変化していった概念。
 では始めるが、根本はおおよそで押さえているとは思うが、所詮は実証事項のない「お伽話」である。もしまことしやかに読めるとしても、憶測の領域を出ない伝説や昔話の類いとしてお読み頂きたい。『遠野物語』の座敷童やカッパと同等に、愛される西洋占星術の歴史の絡んだ昔話、お伽話である。歴史文化の雑学とも言える。このようなコンテンツを事実のように言ったら、私自身何か違うと思うし、実証史学の歴史好きのみなさんがなじめないかもしれない(笑)。

 では占星術という主題を選んだきっかけから入っていこう。最近、ラトル(Sir Simon Denis Rattle)の振るホルスト(Gustav Holst 1874- 1934)の『惑星』(1918)を聴いている。十九世紀から二十世紀初頭を生きたホルスト、たまに聴くといつも新鮮である。今回のものは音も録音も実にいい。クラッシック音楽の録り直されていくコンテンツは、日進月歩で聴くごとに面白くなっている。今回聴いているEMI盤(TOGE-11084)は冥王星だけでなく、小惑星まで入っている。どんどん増えていく(笑)。
 専門家に言わせれば、もともとこの曲は天体や天文学を意識した曲ではない。わたしのような拙い者のお粗末な知識だが、本来ミュシャの『黄道十二宮』なども含めて、こう言った芸術的な主題の背景には、おおよそ歴史的時代相や文化概念が関係している事が多い。
 私たちおじさんは、2006年に国際的な取り決めが変わる以前の学校教育で、冥王星を惑星の一部として教わってきた。『すい・きん・ち・か・もく・ど・てん・かい・めい』と小学生の時覚えたのが懐かしい。
 このホルストの『惑星』には冥王星がないのは、大きく周知されている(別の作曲家マシューズが後に付け足したけど)。1930年のトンボーによる冥王星発見がまだなされていない時代の作品だからだともいう。しかしそれ以前に冥王星のない時代の時代相、占星術の見地からのイメージで、現代の天文学を意識した作品ではないから入っていないと考えるのが無難だ。
 いわばもっと重要なことは、地球が入っていない事である(『惑星』TOGE-11084の解説ライナーノーツp.18にも軽く触れられている)。これは母なる世界なので、視点であり土台だからである。そしてそれこそが、この作品が天文学ではなくて、それ以前の占星術との関連を示唆している部分だからだ。占星術の星の要素は地球から見える天宮図であるからおおよそ地球は大地としてしか見えない。星や天体の一部とは見做されていないと言う意味だ。
 子どもの頃に習ったように、惑星は不規則運動をする。太陽公転の惑星には、地球の自転による円盤運動(現代の星の日周運動、天球の北極星を軸とした天体運動)が及ばないからだ。他の大多数の恒星とは異なり、勝手に円を描かず移動するのである。理科で大昔に習ったのを思いだそう。
 この地球なしの状況からみても、ホルスト(あるいはホルストにインスパイアを与えたもの)は神話や占星術としての惑星をイメージしての創作だった。これはそれぞれの惑星に、副題が添えられているところからも容易に想像が付く。例としては金星が「平和をもたらす者」などだ。専門家がよくホルストについての文章を書いているのを見ると、わりと触れられることの多い話題である。ただしこういうお話は、音楽を理論で考える人々に任せておけば良い。音楽を聴くだけで、歴史に興味のある私は、こっちではなくて文化的時代相が気になる。
 たまに日本語の占星術というのを英語にするとどうなのだろうと小さな疑問にぶつかるときがある。それほど得意分野ではないが、ちょうど良い機会なので簡単に調べてみた。さらにそれに空想も加えてみよう。astrologyは辞書で占星術、horoscopeも占星術である。もうひとつ星占いにはzodiacという単語がある。ただしzodiacには辞書を引くと黄道帯と十二宮図、歳月などの一周という三つの意味があり、十二宮図には金属の星座が彫られた円盤の絵図が載っている(『プログレッシブ英和中辞典 第四版』小学館 p.2160)。つまりzodiacこれ自体に占星術の意味は無い。きっと後ろにastrologyかhoroscopeの単語を付けてセットで、黄道十二宮の占星術、つまり十二星座星占いになるのではないだろうか。それを省略してzodiacのみでもその意味で使うことが多くなったのかも知れない。推測に過ぎないが。常に私が違和感を持つ、携帯電話を「ケータイ」だけで、電話を意味させているあれにちょっと似ている(笑)。
 ただそう考えれば、私が別アカで出しているミュシャの『黄道十二宮』の英名「zodiac」の十二円盤や便宜上「西洋十二支」といっている意見に正当性を少しだけいただけるかもしれない。
horoscopeはhoro-という語頭に意味がありそうだ。例えばhorolo-まで行くと、辞書を単語順に観察すれば、時計やその台座である時計盤や円盤の関連語に行き着くことが分かる。時間という「時の概念」だろう。
 空想してみよう。私たちは巨大な円盤を皆平等に頭上に持っている。天球だ。その天球は夜空になるとわかりやすくなるが、地球自転速度が一時間に十五度で(北極星だけは動かないけど、天球一周360度÷15度<一時間>=24時間。つまり天球は大きな24時間の時計盤という概念が成り立つ。実際には太陽光での昼間、大地の下に沈む星々もあるので、時計盤の針を追うように360度で星の周期は見えない)、これに合わせて天球も回っている。このことが通底概念全てのルールとなる。ここに時間という概念が存在するし、成り立っている。夜空の星や太陽が時を刻むのである。つまり地球が自転と公転することから時間という概念が生じたと考えるのが妥当だろう。換言すれば自転が24時間と公転が365日と言うことだ(もちろんぴったりの数値でないから閏歳、閏月、閏秒などの修正時間が必要とされてきたし、誤差をなくすために、起点となる春分や秋分の同時刻の影などから、太陽が同じ日にちの同じ時刻で南中に位置することなども調べたのだろう。ましてや天動説の時代も含めたときは、24や356、29-30などの数字のみの計算に過ぎない可能性もある)。ここから過去の時間や暦に関わった優秀なひとびとは、両者を考慮の上で分割したり逆算して、分や秒という概念を発見したのかも知れない。たしか我が国の陰陽師の所属した宮中中務省の部署はそんな場所だったような……?
 私たちの現代社会は、宇宙の周期性のルールである時間という概念とともに過ごしていることになる。その意味で天体と占星術と時間は大昔は背中合わせの学問だったのかも知れない。哲学概念で言えば、大もとは一緒の概念だったとも言えよう。
 つまりhoroscopeは、-lo-がない分、時間とは関係ない方の概念のようにも想像できる。黄道十二宮や天宮図を意味するので、大空の太陽の移動する円盤(天球)と考える空想も成り立つ(同掲書 小学館 p.936)。やはり太陽の通り道にある星座たちということで、天体運動と黄道十二宮の概念に行き当たる(ただ実際上の天体の黄道の星座は13あるのだけど)。そしてその星々の移動や運動の規則性などから導き出すご機嫌伺いが、星占いと言うことだったのだろう。
 一方のastro-にも-logiと-nomの接続する語尾があり、語彙や意味の枝分かれがある時点から存在したのだろうと考えた。ただしこの辺の言葉の解明も英語の専門家がもうやっているのだろうから、空想家の素人の出る幕ではない。どれも私の空論、勝手な推測の領域を出ない。でもこういう話には夢がある(笑)。
 ここで必要なのは占星術と天文学は似て非なるものということだし、このホルストの作品がインスパイアされた文化的土壌を考慮したとき、やはり占星術からの主題と考えてこの音楽を聴くことが重要であると個人的には思っている。神話、すなわちローマ神話の神々と星々、そのお姿を思い浮かべて聴くのが私流ということだ。マーキュリー、ジュピター、サターン、ヴィーナスと神々の名前を冠する惑星たちとそのイメージ(ちなみに地球はテーラ terraである。そして関係ないけどマッカートニーのアルバムにも『ヴィーナス・アンド・マース』がある)。まさに歴史と神話と自然物からの創造物である。だから冥王星が入っていなくても問題にはしないし、小惑星もとくに興味ない。今回はこの歯切れの良い結論を導き出したかったのだ。ただし詳細事項の部分は、素人の世迷い言故、世間話の延長線上に位置するお話、お伽話として処理してほしい。おおよそ、だいたいは間違いとは言い切れないが、信憑性は低いレベルの話だ。なぜなら私は天文学者でも占い師でもないからだ。しっかりした事実を知りたい方は、本当に学問や研究をしている書物を当たることをおすすめする。
 どうでもいい理屈を並べさせて頂いて、鑑賞するイメージやモチーフの再検証をここでさせて頂いた。こういう機会でもないと、ちゃんと調べようという気にならないためである(笑・ここで使う「ちゃんと」という言葉が、素人の探求ごときに対して適切かどうかは疑問だが)。
「ここまでややこしく考えて、音楽を聴いても楽しくない」といわれると困るので、今回はたまたまであると言い訳をしておこう。『惑星』だからである。これが「マス」だったら魚釣りの話をしていただろう。

 今回は文化、概念、芸術のベースとなる歴史社会と時代相を面白い切り口から取り出すことが出来たのではないだろうか?
 最後に占星術astrologyと天文学astronomyのこと。これらの両者、語尾のわずかな違いで、どこかの時代から枝分かれしたお隣同士の概念だったのかも知れない。しかし現在は全く相容れない概念である。狭間に科学という大きな壁があるからだ。
 こんなややこしいことを考えるよりもホルストを聴いて心を安らげることにしよう。



おまけ
 前の話題、三輪そうめん食べてみた。きめ細やかで、繊細なそうめんだった。おいしくいただけた。御利益ありそう(笑)。最後はローマではなく、日本の神さまの話になってしまったが。あしからず。



 
ラトルの『惑星』に関する盤紹介。ここにもシンセサイザー演奏者冨田勲さんの話題があるが、クラッシック音楽を雰囲気だけそのままにポピュラー、大衆に紹介する才能の持ち主であることが今更ながら知ることが出来る。尊敬に値する。
https://www.hires-music.jp/mqa-classic4/



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72 私流よこはまの花便り15 -港の見える丘公園のバラ園2018年初夏- [私流よこはまの花便り]

 さて久々の横浜のバラの便りである。ちょうど今が満開に近い。もう少しで開きすぎの時期になる。盛期を見るのなら今が良い。
 今回も青空がまぶしい良い天気の日であった。♪風をあつめて、みたくなる日だった。ただ前日まで忙しく一日中ボーっとしていた。ただでさえボーっとしているのに困った物だ。
 一つものぐさな私の快挙がある。ひとつきに四回の更新は2015年以来のことだ。二度目。普通の人はそれ以上更新しているようなのだが、今回はたまたまである。私らしいのが一番ということで、これからもこんな珍事に触発されることなく、マイペースに少数更新していくつもりだ(ぜんぜん改める気は無い・笑)。
 この日曜日は、いろいろな事を一気に消化してきた。お礼をかねて西洋館ご挨拶。花の事を訊くためにしかるべきところで、質問(休日で不発に終わったけど)。
 そしてもうお邪魔するようになって、三、四年ぐらいになるのだろうか? 私の音色の趣味に合った音を奏でる演奏者さんのアフタヌーンコンサートにお邪魔してきた。最近はたおやかな演奏になり、良い意味で私のような通ぶった大人(おじさん?)にも好みの音を出される。遠目ではあったが、タッチとレスの力加減が技巧的になり、長時間対応の無駄のない力配分になっていたなあと勝手に思う。今まで見てきたベテランの弾き方がそんななので、それに似てきたからそう思っただけの素人の戯言である。はずしていても、軽くあしらって許して頂きたい(笑)。私のような素人目のリスナー、オーディエンスだが、この方の弾く「幻想即興曲」は、とても良いと思っている(私個人の中では絶品くらいに思っている)。
 さて花の話に移ろう。いくつかのバラ、毎年のことなので見覚えもある。人も多い日曜日になったので人を避けながらの撮影になった。今回この季節まで来ると、マクロレンズはいらない。あじさい、花菖蒲、バラ、ユリといった大輪まで行かない中輪の花々の季節なるためだ。拡大が好きな方は使っても良いだろう。
 早春の山野草やサクラの仲間は花や花弁が小さいのでマクロ必須になる。また夏の終わりにギボウシの仲間やオミナエシなどの小さな花が多くなるまでは、ひまわりや朝顔など、大きな花が多いので標準レンズの画角と倍率で撮影が出来る花の季節である。小さな花の高山植物好きは別で、これは山のてっぺんに行かないひとの話ではある。
 バラは白の一重咲き、ピンクの八重咲き、そしてそろそろあじさいの若花が美しくなってきた。通常の鞠のような花房のあじさいとガクアジサイを写してきたのでアップしたい。やはり野生種に近いガクアジサイは山の斜面に似合うと個人的には思う。ガクアジサイはぎりぎり山野草の仲間だろう。フランス山はあじさいが美しい季節になってきた。
 最後に伊勢山の青空、ガーデンネックレスのイベントの人気者ガーデンベアも一緒にアップしよう。この頭のサイケデリックな花々はどういう表現で褒めれば良いのか分からないので、読者にゆだねることにする。今回の花と可愛いマスコット・キャラクターは港の見える丘公園での撮影だ。花の命は短いらしいので、行かれる方はお早めに。バラとあじさいが終わると、次はユリの出番である。そのときは行けるかどうか分からないが、まあ、行くつもりでいよう。

バラ 一重咲き 白
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青空とバラ 八重咲き 黄色
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青空とバラ 八重咲き ピンク
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ガクアジサイ
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アジサイ
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ガーデンベア
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伊勢山 青空と拝殿
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伊勢山 青空と注連縄柱とランドマークタワー
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71 私の好きなもの-文章と日本神話編 [少し真面目なお話]

 今回は文学と文章の話だ。文章が楽しいと感じたのは小学校の高学年である。図書委員を四年生から毎年やっていて、最後には図書委員長になって、図書室で過ごすことが多かった。図書室をねぐらにしていた。書棚の整理をしながら、楽しそうな本みつけをするのが委員の仕事の特権だった。小学生の時、ある程度、歴史や国語のテストがたいした勉強量でないことに反して、地方レベルとはいえ(展開する塾とか普及していない地域と時代である)、学期末試験などで高得点を取れていたのも、この頃読みあさった偉人伝や歴史図鑑などのおかげである(今はもう忘却に歯止めをかけることで精一杯だが・笑)。
 その後たいした経歴もなく、大学時代や出版関係(最近はPCの活字だけど)、教育機関のほんの隅っこのほうで、文字や本から離れることはなかった。むしろ、そのおかげ(おつり?)でまだどうにか生きている(笑)。あとまわりのお慈悲深い人たちのおかげも多々ある(感謝)。
 文字は単に伝達手段のための記号であり、サインである。音符が音を表す記号のように、文字は意味を表す記号である。
 しかし、その意味も集合体になると表現をなす。一般に文語では「文を紡ぐ」なんていう洒落た言い方があるが、まさにそれだ。そこに私は三つの役割が生まれると思っている。すなわち遊び、感情、知識である。
 遊びは、子どもが最初に出会うおもしろい文字遊び、言葉遊びが例えやすい。トンチンカンな言葉や駄洒落、さかさ言葉が面白かったりする。それの大人版が詩歌の技法などである。押韻や掛詞、重ね言葉など、まさにウィットに富む、贅沢な言葉遊びである。推理小説ならアナグラムになる。
 感情は、感動であり、想像である。それは物語や小説という表現方法である。同感、共鳴してもらえる美しい単語や慣用表現をどれくらい知っているかで、その人の文化的素養が判断され、読み手に慕われる。内容の良さだけでなく、文章という媒体にふさわしい表現方法を身につけた作家は愛されている。
 知識はターム、用語の類いを使って、名詞一語、連結するひと繋がりの漢字熟語でどうやってそれを伝えるかという勝負などである。報道や法律、学術などは、これのレトリックに長けた人が能力を持った人になる。そういう人は新しいテクニカルタームを駆使して、知の最先端を駆け抜けている。
 これらの才能に恵まれなかった文章好きの人は、いまここでこのブログを書いている(笑)。
 さて冗談はともかく、言葉や文字を愛する人たちはどこかで、気心が知れた仲間になるときがある。そんな人たちの集まりや講演等にたまに出かけると、「みんな難しいことを考えて生きているんだなあ」と己の無知さを感じて帰ってくることがある。今のところは、それが私の才能である。変な才能だ。
 文芸的には表現力の豊かさという意味で、そういう方々がよく使われる文語(現代文語であり、学校教育の明治時代の鴎外などの残した歴史文語ではない)を、幾つか例に出してみよう。
口語・夜になった時=文語・夜の帳が下りた頃
口語・深夜の静まりかえった町=文語・夜更けの静寂に眠る街
口語・子どもの頃に見た景色=文語・幼少期の追憶にある光景
 どうだろう。比喩、擬人も含めて格好良い言い回しである。でもこんな言葉を日常会話で私が使えば、「どっか具合が悪いのか?」といわれてしまうだろう。大文豪が使うからこそ「さすが」と賞賛の嵐になる。うん。不公平な気もするが、それが現実である(笑)。
 でも言葉を知っている人って、いつも羨ましく思う。それが文語であれ、慣用表現であれ、手紙文であれ、美しい日本語を流ちょうに操れる人は同じ日本人として、尊敬するものだ。最近はメディアなどで当たり前のようによく言う、「(処世術的な)上手い言いまわし」というのが社会的には羨望の眼差しのようだが、私は相変わらずズレているため視点が違う。やはり「美しい言い方」に憧れるのである。所作にせよ、声にせよ、旋律にせよ、言い方にせよ、美しさの中には品位があると思っている。この文章をカップ麺をすすりながら書いている私は、品位というガラでもなく、全く説得力がないのも事実である(笑)。
 さて美しい方の話を続けよう。日本神話と日本語の美しさを考えた国学者、三重県は松阪の本居宣長という人がいた。多くの人は学生時代に歴史や古典などで触れたことがある人物だ。とりわけ日本神話では『古事記』の大和言葉として、『ふることぶみ』を用いたひとりでもある。
 おそらく私が『ふることぶみ』、すなわち『古事記(こじき)』と学校では習う事の多い、この日本神話の物語に初めて出会ったのは、正確に記憶がない。気がついたら知っていた。……が、きっときっかけは、幼少の頃の絵本やテレビの昔話だと思う。それぐらい日本の生活に根付いた文化なのだと思う。いつからと訊かれるのが一番困る。本人も明確に記憶が無い。
 例えば、子どもの頃から知っているお話だと、「因幡の白ウサギ」や「天の岩戸」、「海幸彦山幸彦」、「八岐大蛇(やまたのおろち)」、「三輪山のお話」などだ。これらのお話は、どこかでいつの間にか耳にしているお話なのだと思う。もちろんこれら以外の神話なら、前述の図書室や、通い詰めた公共図書館などで仕入れた知識もあるだろう。
 こう言った物語の中の神さまに文学として出会おうと思ったのは二十代である。そして、物語と一体化して、文化として味わおうと思ったのはもっとあと、三十過ぎからである。おまえさん、今幾つだ、と突っ込まれそうだが、爺様までは行かないが、そこそこおじさんである(笑)。
 さて神社さんのご祭神としてではなくて、物語として読んだ場合、どの神さまが、登場人物としてはお気に入りかというと、大国主命が気に入っている。優しくて、けなげで、ユーモアもあって、盟友の少名彦との友情、老若男女からのモテモテぶりが好きである。しかも不思議なことに彼に意地悪した人はみんな天罰を食らっている。またピンチの折には、姫神たちがみんな助けるといううらやましさ。モテモテなところを除けば(私には無理という意味だ・笑)、国譲りの潔さ、友情、親切、優しさなど自分もこうありたいと思わせてくれる性格だ。
 同じ出雲系だと、その前の世代の素戔嗚尊がダントツで格好良い。箸の流れから人家集落を見つけ、八岐大蛇の生け贄になりそうな櫛稲田姫を助け出し后に迎え、あまりに好きすぎて誰にも見せないように家に竹垣作って閉じ込めて、和歌まで詠んでしまう。倒した八岐大蛇からは天叢雲剣を手に入れる。ジャパニーズ・クエストもののヒーローである。ここまで格好良い男気はへなちょこな私には無理だ。しょってみることも出来ない。ジャパニーズ・クエストはもう一柱、日本武尊という神もいる。こっちは悲劇のヒーロー、浦賀水道に入水した妻のオトタチバナヒメとともに判官贔屓の人たちから愛されている。
 ちなみに素戔嗚尊、櫛稲田姫、大国主命、少名彦は、出雲大社に行けば、お祀りされている。文学メインの私流に言えば「お会いできる」場所だ。また関東ならさいたま市の大宮氷川神社にいけばお会いできる。
 奈良の大神神社では、大国主(大己貴神)が盟友少名彦と一緒に祀られている。そうめんもおいしそうだ。このそうめんは大神神社と縁が深く、大田田根子命(『古事記』では意富多々泥古と書いてある)とその末裔が飢饉救済で生み出した縁起物である。ちなみに松尾大社と並び大神神社はお酒の神さまでもある。また文頭の神話の話、糸巻きが三回分だった事から三輪であり、神の使いが蛇なのも有名だ。そして特筆すべきは、本殿を持たない神社で、拝殿からご神体の山を拝むという、神社の最も古い形態をあらわしているのである。
 不思議な神さまとしては、高御産巣日神という造化三神のひと柱の神がおいでになる。天照大神に神勅を下す神だが、言葉を与えるだけで特徴、風貌などは描かれていない不思議な神さまである。
 またオキナガタラシヒメ、つまり神功皇后も凄い英雄である。身ごもった御子である応神天皇を携え、戦に出る婦人だ。その神勅は住吉の神々からのものだった。そのため今日でも御子が主祭神の八幡宮や神勅繋がりの住吉神社に祀られている。
 しかしなんといっても、伊勢の内宮、神明系アマテラスさまが物語の中でも輝いている。お隠れになれば、世界は闇である。日食状態だ。いくら夜の国にはツキヨミさまがいると言っても、ずっと夜では困る。それはうずめの舞姫、天手力男命も必死に呼び戻すというものだ。高天原の神々の世界を一手に引き受け、皇室祖廟の地位も憧憬の念に値する。
 いまでも時々講談社学術文庫の『古事記』の上中下巻をボーっと眺めることもある。考えないでただ眺めているところがいかにも私らしい。分からないことがあると、この本に戻る。勿論、専門的に読むわけではないから、素人の分かる範囲での用語と口語訳しか見ない。でも一般的なことにも、とても役立つ本である。ただし調べた先から忘れていくところも、我ながら立派だ(痴れ者である)。
 こう鑑みれば、国学と『ふることぶみ』、本居宣長公がおっしゃった『古事記』を主とする日本神話ファンということかも知れない。些かファンというにはおこがましい程、私は物を知らないのだけれど……。しかしいつから、という最初の問いには、やはり幼少期から好きだったと、いうオチになる。そして明確なデビューの年齢も定か出ないということになる。あどけない日本神話好事人の話と思って頂きたい。自分では意識はないが、その延長線上に祭見物もあるのかもしれない。
 次回は久々、横浜の花巡りに行きたいと考えている。ではまた。


飾る写真がないので、話題になった本の表紙を並べて画像にした。ではグッドラック(幸運を)! 神社のお話だけに開運を!

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70 繁茂の新緑と山野草-あっちこっちめぐり- [自然と山野草]

 今回は二日連続更新である。こちらは特に文章を出す必要も無いので、今回は植物の画像を中心にアップできればと思う。緑が生い茂り、新緑のまぶしい季節は、一番緑が楽しい時期でもある。そんな木々、花々をごらんに入れられればというのが、目的である。
 最近は大滝詠一の「夢で逢えたら」のカバー曲、細野晴臣の「風をあつめて」のカバー曲をなぜか聴いている。オリジナルはどちらもずいぶん昔の曲で、私の世代の物ではない。でもなんか心にくる曲で、どちらも気になる曲なのである。最近はいろいろな人が歌う「夢で逢えたら」だけのCDが出るらしい。もうでたのかな? それくらいカバー数の多い曲と言うことである。
 わたしより上のぱっぴーえんど世代の方は、大滝派、細野派と分けるらしいが、その時代よりずいぶん下の世代の私には、特にたいしたこだわりはない。どちらも良い曲だなと思うし、「夢で逢えたら」はミュージカルや舞台ハコもの(演劇や、ミュージカル、無声映画の舞台前で演奏する楽団)の雰囲気のアレンジで、1930-50年代の欧米の音楽の雰囲気を持つ。「風をあつめて」はアコースティックのギターやピアノだけでシンプルに弾き語りをする一音一音の楽器の持つ魅力がヴォーカルと溶け込むところが素敵な曲である。どちらも作曲者の手を離れて、いろいろな歌い手さんの魅力でカバーされている変幻自在な曲である。
 ちなみに私の好みは本家を除けば、「夢で逢えたら」は薬師丸さん、「風をあつめて」は矢野さんと太田さん、甲乙つけがたい(笑)。
 あれ? 何の話だ。まあ、緑の写真をどうぞ(^^;)。これでしばらく更新はない。あしからず。

画像について
 チシマウスユキソウって初めて見たんだけど、ウスユキソウは普通に山に生えている。翁草のように白い毛羽が付いた植物である。見た感じはどちらかというと、山間部に生えるミヤマウスユキソウのほうが形状が似ているので、それの北国傍流種族なのかな? 詳しくは知らない。紫のバラは、本当にこの色出せるんだと言う意味で、撮っておいた。良い色だ。
 フタリシズカは今の季節山に入れば、シソの葉やあじさいの葉に似た葉の付いた茎の枝部から、二本の白い小花の付いた糸状の茎が出ているので、すぐ分かる。ちなみにヒトリシズカという花も普通に存在するが、花の付いた茎が一本なのと、花が白く小さな丸い本種と違い、外側に向かって長細い花をつける。同じセンリョウの仲間だが随分と違う花の形だ。
 バイカカラマツやオガワキキョウは専門図鑑を当たらないと出てこない。本流からわずかにそれた種類なのかも知れない(個人的感想)。特にオガワキキョウは気になったので調べてみたが、葉の形状と薄い紫の花弁色からチシマギキョウに近いのかなと感じた(違っていたらごめんなさい)。この辺は山の植物の分類の大変なところで、植物学者でも無い限り、わからないものだ。おそらく取り残された亜種や傍流系の近種交配などで、固有種ができる環境なのである。だからこう言った植物を調べるときはこのような個人ブログではなく、私のように図鑑を何冊も引っ張り出すか、専門機関などのHPで調べるのが普通である。それでも分からないときは今回のようにあきらめる。いずれどこかの植物園や道ばたにサインボードを見つけたときに、「ああ、あの時のはこれだったんだ」と勝手に納得するのである。気の長い話だ(笑)。
 チェリーセージは普通にお店で種が売っているハーブの一種だ。ハーブについては紅茶マニアやサラダ菜好きの方々のほうがお詳しいはず。野っ原散歩人のカテゴリーではない(笑)。
 一応タイトルに山野草と入れてしまったので、思い直して補足しておいた。そんな程度の私である。残念な性格だ(笑)。

バイカカラマツ
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バラ 紫色
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チェリーセージ
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チシマウスユキソウ
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エンジュノキ
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フタリシズカ
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イヌシデ
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アイリス 西洋アヤメ
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イワカラクサ
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カツラギ
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オガワキキョウ
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ヤマモミジ
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69 素人の舞楽見物の話 その1 [まつり見物の話]

 このゴールデンウィーク付近は、伊勢神宮を筆頭にいろいろな神社で舞楽を楽しむ事が出来る季節だ。春と秋に多い。奈良の春日大社はそれ以外でも見ることが出来る。以前No.45の記事でも祭りの種類の一つとしてご紹介した舞楽。今回は舞楽のみに主題を絞って書いてみたい。もちろんいつものごとく私はこの専門家ではないので、素人が祭り見物に行ったというお話である。そして少しでも多くの方が、祭りの楽しみ方やたしなみの一つとして、見て頂けると嬉しく思う。そんな気持ちで参拝や見物が出来ると歴史や伝統文化の意義、存続に繋がると考えている。
 まずは45回記事の復習もかねて、基本から始めよう。私がお邪魔した神社では、伊勢神宮を筆頭に、多くが四演目のプログラムが多い。その際には一番最初が、「振鉾(えんぶ)」という舞台を清める鉾を持った左右の緑と橙の衣装を纏った演者がゆっくりと舞うものである。でも熱田では紫色の衣装の舞人を見た。
 次に四演目の場所では、女性の舞手の代表的な演目として、「迦陵頻(かりょうびん)」や「胡蝶(こちょう)」などが二番目、三番目の中程に持ってくることが多い。これはお稚児舞から派生とも言われている演目である。優雅な女性舞なのでファンも多いと聞く。ただし最近はこのほかの演目にも女性の舞手はいたし、あるいは楽人の女性の活躍も目に付くので、「迦陵頻」等以外の演目に女性が皆無ではない。
 二、三番目のもう一枠は、私の記憶ではあるが(当てにならない? 笑)、面ものや男性の四人舞などもここに持ってくることが多い。知る限りでは「春庭楽(しゅんでいらく)」、「蘇莫者(そまくしゃ)」、「打球楽(だきゅうらく)、「還城楽(げんじょうらく)」、「抜頭(ばとう)」、「延喜楽(えんぎらく)」、「納曽利(なそり)」、「貴徳(きとく)」、「八仙(はっせん)」などを見せていただいた。これらのほかにもたくさんの演目があるのは、いうまでもなく、その年のその場所でどんな演目が用意されているのかも楽しみの一つである。
 関東では明治神宮は演目を社報やお知らせなどの印刷物で事前に把握できる。屋外の秋の祭典なので、晴天の日であれば、大太鼓の美しさや高舞台での所作は素晴らしい。また鶴岡八幡宮では、その演目の御由緒なども記されている演目プログラムの印刷物を用意しており、公演の際に、配ってくれたり、社務所で申し出ればいただけるので、勉強にも役立つ。演奏者や楽器を間近に見れるのも舞殿で演奏してくれる鶴岡の特徴である。撮影の方はISO感度の性能のよい物を持って行こう。屋根付きの演舞殿のため、光量を補うためである。ほかに日光東照宮や大宮氷川神社では、例大祭で「東遊(あずまあそび)」を行っている。前者は観覧可能だが、後者は公開していない。この演目の衣装は白地に淡い色合いで見た目も美しいため人気がある。
 最後の四番目の演目は「長慶子(ちょうげいし)」という舞のない音楽だけの演目になる。重ねてになるが、笛の名手、源博雅作と伝わる名曲である。博雅の舞楽への影響は、楽譜の面にも残っており、現在伝わる舞楽の楽譜は、特に笛の類で、おおもとを辿ると貞保親王と博雅の二つにあたるそうである(平凡社 114頁)。
 楽器の分類も、西洋楽器のオーケストラ風に区分けしている。例えば、管楽器のことを「吹きもの」、弦楽器を「弾きもの」、打楽器を「打ちもの」とちゃんと楽器の用途や特徴によって分けられている。最近知ったことでは、笙(しょう)という楽器があるのだが、17本の竹筒が円形に組まれた吹きもので、竹の長さで音が決まると勝手に想像していたのだが、そうではなく竹の長さと音程はまったく関係ないということだ(同書 109頁)。
 目立つ楽器でいえば、色鮮やかな、しかも大きな高舞台の両側に置かれた大太鼓(だだいこ)である。おなかに響く超重低音な太鼓である。普通サイズの太鼓は、そのまま太鼓とよび、ひときわ甲高い澄んだ音でリズムを刻むのが鉦鼓(しょうこ)という。チンという風鈴のような金属っぽい風流な音が聞こえてきたらこの楽器と思って間違いない。
 ちょっと話はそれるが、また楽譜の話をついででもう一つ。ギターのタブ譜に近い表示の仕方が見られる琵琶の表記には、ギターのフレットに相当する柱というポジションの番号が記されていることも面白い(同書 116頁)。
 ほかに竜笛、琴などを従えて、楽人が古式ゆかしき装束をまとい、舞人のサポートをしている姿はなんとも凛々しい。
 江戸の名家、武家、公家などの家では、ひな人形の五人囃子の持つ楽器が、この舞楽・雅楽の楽器を持つものもあると知った(同書 50頁)。高貴な方々の鑑賞する舞だった事がうかがえる。だが庶民の私でも、現代には鑑賞できるのだ。ありがたいことだ(笑)。
 そんなわけでお約束どおり、まずは舞楽についての知識を簡単にど素人がご紹介。画像も過去の物で用意できる物をいくつか出してみたので、その雰囲気を味わってほしい(「抜頭」はフォトコンで入選させて頂いた作品である)。和楽器特有の歴史的な音を感じるのも楽しいものだ。毎年秋には伊勢神宮、明治神宮などでも鑑賞できる。賢者諸君の近所やお近くの神社でも演じている可能性は高い。地理的に行きやすいところをお探し頂きたい。
 そして古より伝わる古刹においても、かつての衣装などを鑑賞出来る場所がある。高野山、東寺、輪王寺や四天王寺にも衣装などが伝わるそうだ。浅学故、全て把握は出来ていないので、各自お調べ願えればと思う。文末に衣装についての参考図書を挙げておきたい。
 この記事を見て興味のでた方は是非見物に出かけてはいかがかな。祭りの楽しみ方の一つとして、こういう見学の方法もあるということだ。再三、お伝えしておくが、当方、舞楽とは何の関係もない素人の鑑賞客であり、撮影好きなだけなので詳細はその道に明るい方にお聞き願いたい。ではまた。

参考図書
『別冊太陽 雅楽』 平凡社 2004年
『日本の美術 4 舞楽装束 No.383』 至文堂 1998年


追記
2018年5月5日の鶴岡八幡宮菖蒲祭において希有な演目を鑑賞できたので追加で掲出します。
「青海波(せいがいは)」と「進蘇利古(しんそりこ)」でした。



高舞台 伊勢神宮
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和楽器 笙(しょう) 鶴岡八幡宮
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振鉾 明治神宮
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振鉾と大太鼓(だだいこ) 伊勢神宮
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還城楽 熱田神宮
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喜春楽 熱田神宮
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胡蝶 熱田神宮
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敷手 熱田神宮
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蘇莫者 伊勢神宮
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迦陵頻 伊勢神宮
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抜頭 鶴岡八幡宮
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貴徳 伊勢神宮
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楽人 鶴岡八幡宮
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和楽器 鉦鼓 鶴岡八幡宮
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青海波 鶴岡八幡宮
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和楽器 鞨鼓 鶴岡八幡宮
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進蘇利古 鶴岡八幡宮
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式年遷宮の折にアナウンスのあった伊勢神宮から譲り受けた社殿の工事が、横浜の伊勢山皇大神宮で始まった。新緑と拝殿の画像もアップします。

伊勢山皇大神宮の現在の様子
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68 お気に入りの音楽の話とちょっとだけ新緑フォト [世間話 イベント]

 随筆形式で今回は失礼する。「お気に入り」とタイトルに入れているので、私の恣意的な方向性で話が進められる。ありがたい。
 きっとタイトルからは、マッカートニーの話とお思いの方もおられるだろうが、それは「久しぶりのポップス」という記事項目にてやっていることなので、今回は違う。正確には私のお気に入りの楽曲の音ということだ。換言すると、録音状態、弾き方や歌い方の癖、楽器などである。ポピュラー、ジャズ、クラッシック、ボサノヴァ、カントリー、シャンソン、イージーリスニング、スクリーン・ミュージックと気になる曲をただ並べていくので、どうぞご覧あれ。ご存じの曲は幾つあるかな? 私と話し合いそうかな?(別に私と音楽のはなしなどしたくない、と言う方、言葉のアヤですのでお許しを。単に謳い文句です・笑)
 コメントはすべて個人的感想で実証性、客観性はないのであしからず。世の中一般の理屈では選んでいない。音楽をジャンル、年代で区別することはなく、聴いてきて、くつろげたり、楽しめたり、感動できれば、それで良いというのが基本方針だ。自然体、自由である。従って、ごっちゃまぜで申し訳ない。



★ペトラ・クラーク「恋のダウンタウン」かなりの楽器数の跳ね返りのある音で、夜に臨場感が出る曲
★加羽沢さん高島さん演奏「愛の挨拶」弦の音が絞り出すような感じが好き
★マーニ・ニクソン「踊り明かそう」バックの楽器達がこれぞミュージカルって感じが好き
★加羽沢さん演奏「花のワルツ」アレンジもピアノの音の高さもテンポもちょうど私好み
★ジュディ・ガーランド「虹の彼方に」穏やかな気持ちになる
★シルヴィ・バルタン「あなたのとりこ」楽器の響きがさわやかと、フランス語がお洒落
★ドリス・デイ「ケセラセラ」楽器の音が豊かなのと、リズムが優雅なところ
★クリスティン・チェノウェス「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」何もかもOK
★ギルバート・オサリバン「アローン・アゲイン」リズムも声質も鈍い音のピアノもいい
★加藤知子さん演奏「朝の歌」弓からひねり出す音の乾いた感じがいい
★オードリー・ヘップバーン「ムーンリバー」映画でギター弾く姿よかった
★ヴィンス・ガラルディ「ライナス&ルーシー」トリオの特徴を楽器面で活かしている曲
★仲道さん演奏『ベルガマスク組曲』特に「前奏曲」、ピアノの前面に出てる音がすき
★中村紘子さん演奏「ラ・カンパネラ」高音カタカタ感とはっきりした主旋律の調和がすき
★レイ・ブライアント「デローネのディレンマ」私の中のジャズピアノの音の基準はこの曲
★クリスティン・チェノウェス「ウィル・アイ・エバー・テル・ユー」女性らしい声と歌唱
★アストラド・ジルベルト「フライ・トゥー・ザ・ムーン」夜の雰囲気でフュージョン風
★ダニエル・ビダル「オー・シャンゼリゼ」声の安定した1970年以降の取り直し盤が好き
★メリー・ホプキン「悲しき天使」アコースティックの音が、ウェールズ魂に聞こえるヴォーカルと合う。
★ビージーズ「メロディ・フェア」コーラスがきれい
★アリソン・クラウス「ペーパー・エアープレーン」ブルーグラスに静けさもありと感じた
★エンヤ「オリノコフロー」ケルト民族と自然と荘厳さを感じる
★シンディー・ローパー「タイム・アフター・タイム」メロディーが好き
★アリソン・クラウス「ナウ・ザット・アイブ・ファウンド・ユー」アコーステックの珠玉
★小山さん演奏「雨だれ」盛り上がりの響き、独特の正確さがいい
★サイモンとガーファンクル「四月になれば彼女は」親友との大切な思い出の曲
★アート・ペッパー「チュニジアの夜」ジャズのお手本。
★オリビア・ニュートン・ジョン「そよ風の誘惑」かけるとすぐ眠れる曲の一つ
★ジョン・ウイリアムズ「E.T.のテーマ」基本中の基本
★カーペンターズ「トップ・オブ・ザ・ワールド」楽しくなる
★ビーチボーイズ「スループ・ジョン・B」きれいな音作りが良い(グロッケンスピエル?)
★マドンナ「ラ・イスラ・ボニータ」スパニッシュギターのソロが南欧っぽい
★R・クレーダーマン「渚のアデリーヌ」ピアノ曲の中ではトップの部類で好きな曲
★アストラド・ジルベルト「イパネマの娘」私のボサノヴァって、ここからだったなあ
★ポール・モーリア「恋は水色」ドボルザークとモーリア、ウイリアムスが私のオーケストラ曲の基準
★ジョン・フィリップ・スーザ「自由の鐘」何度聞いても勇気をいただける良い曲
★シエラ・ハル「ベスト・バイ」陽気さが伝わってくるのと楽器の渋い音がいい

ほんの一部だが今回はこんなもんで(今回って、次回は無いと思うけど・笑)。





少しだけ植物の写真を出したい。青空とマッチするきみどりの鮮やかな新緑の木々や藤。この時期、きみどりの木々と香りが大好きである。みどりが我々を呼んでる感じがする。上から①青空とイロハモミジ②青空とエノキ③青空と藤の花④ツツジ⑤フレンチラベンダーとミツバチ。晩春初夏を感じる花や木々である。ではまた。

おまけ
今回の撮影のお供は「あこがれ」ジョージ・ウィンストンのピアノ曲でした。若葉にぴったりと自分では思っている(本当の曲のイメージは知らない)。

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